磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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原爆の記憶-ヒロシマ/ナガサキの思想-

2010年07月23日 | 読書日記など
『原爆の記憶-ヒロシマ/ナガサキの思想-』
   奥田博子・著/慶応義塾大学出版会2010年

この本を読み終わり想ったのが、一億国民総懺悔ということだった……。

もくじ



一冊の本で、多くのことが書かれてある……。
だが、原爆はそんなに簡単なことではない……。

こんな本を出せる実力があるのは、今の日本では安斎育郎くらいなものだろう……。
外国ならば、ジャーナリストでもこのような本を書き上げるかもしれないが……。

かなりきつかったろうとも思うが……。

この本でも、「神の摂理」を「人の摂理」としている……。
もちろん、日本政府などは、「神の摂理」の範疇にはなく、償いの手も出さなかった……。
これは、あくまでも、「人の摂理」……。あるいは「悪魔の摂理」でしょうね……。
もちろん、カトリックの人たちなら、神を重んじるあまりに、このような言説は避けられることでしょう……。いずれ、「神の摂理」になると信仰しておられることでしょうね……。

「神の摂理」が理解できるようになるのは、「神の御前」……。
あくまでも、宗教的なものなのに、「人の摂理」にすり替えている……。
永井隆は宗教の場でしか、このようなことは語っていない。
--日本には宗教の自由が法律で認められている……。

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証拠があまり遺されていないという著者……。下「」引用。

「さらに、被爆者の証言は、原爆被害の証拠があまり遺されていないために、実際の体験を語る彼らのことばに頼らざるをえない。」

そうなんでしょうかね? 物理学なくして理解は不可能でしょうね……。写真なども重要な証拠とボクには思えますが……。あらゆる意味で東京大空襲などよりは、驚くほど多くの証拠が残っている……。資料館なども充実している方だろう……。

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それに、遺構も破壊されても、作り直すことができる。資料があれば……。資料は残っている……。

よみがえる街 未来への懸け橋

被爆体験を読まれたことがあるのだろうか? 下「」引用。

「このように、ナショナルな言説空間では、広島と長崎の原爆体験が「国籍化」されるばかりか、ノスタルジアのようなかたちでメロドラマ化される傾向にある。つまり、「唯一の被爆国」ないし「唯一の被爆国民」というナショナルなアイデンティティ/神話には自己憐憫的な性格が強いという指摘ができる。」

何があったのか理解されているのだろうか? 人間として……。

「原爆神話」はあくまでも、事実ではないから、「神話」ですね。
「唯一の被爆国」は、核兵器が実戦(戦争)で使われたのは、日本だけですね……。
外国の人たちもこう語っておられますね。だから、核兵器廃絶の先頭に立つべきと……。

「被害者史観」とまで書いている。「史観」などというものは、司馬遼太郎が語っていたことが正しいだろう……。歴史(事実)はもっと複雑で、理知的でないと把握できないものとボクも思う……。学問として使うべき言葉ではないような気がします……。

投下したのはアメリカであり、どう考えても国際法違反だ。もちろん、日本の戦争加害はあっても、同じことが言えるし、言わねばならないだろう……。一億総懺悔は詐欺的手法でしかない。

オバマの核廃絶に感動したのも、日本人だけではない……。日本だけにではなく、世界の人々に対して、アメリカには責任がある……。もちろん、日本も……。

田母神のことが書かれてあった……。下「」引用。

「二○○九年、広島原爆の日にあたる八月六日に核武装論者である田母神俊雄(たもがみとしお)元自衛隊航空幕僚の講演会「ヒロシマの平和を疑う!」が広島市内で予定された。-略-日本国憲法第二一条第一項「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」という言論の自由を考慮すると、核武装論に対しては「被爆者および遺族の心情を傷つけることにもなりかねない」といった心情論ではなく、原爆体験を普遍化した連帯意識に基づく核兵器廃絶論で抗弁すべきだろう。」

ネオ・ナチスに言論の自由はないドイツ……。
妄想や虚言を広めることが「言論の自由」とは思えない。
「言論の自由」が法律で守られているから守れ! というならば、平和憲法を守れ!

この人たちは本当に日本人だろうか? 仏教徒の家に生まれた日本人として、田母神も著者も信じられない言説をしている……。こんな日に、よく言えたもんだよ……。もちろん、日本人としての心情だけどね……。

著者はヒロシマが、戦争責任語らないといっているが、それは市長であって、被爆者ではない。被爆者運動でもない。

ところで、この著者や出版社は戦後責任や戦争責任は果しているのだろうか?

棚上げ理論なのか? 積極的平和は構造的暴力をなくしていくこと!

構造格差をひろめる人たちに、平和をいう資格はない!

そういう人がいても、ボクは否定できない……。

戦争責任ということばだけでなく、今は「平和責任」ということをいう人たちがいるが、この本はまったく無責任という人がいても、おかしくないだろう……。









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