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ヘレン・ケラーはどう教育されたか-サリバン先生の記録-

2010年11月22日 | 読書日記など
『ヘレン・ケラーはどう教育されたか-サリバン先生の記録-』
   アン・サリバン(著)/槙恭子(訳)/明治図書出版1976年

謙虚な教師、サリヴァン。
教えたのではない……、サリヴァン。下「」引用。

「私は決して言語を教える目的のために、言語を教えたのではない。考えを伝える手段として不断に言語を用いたのである。」



アイルランド系のサリヴァン先生。下「」引用。

「マン・マンスフィールド・サリバンは、マサチューセッツ州スプリングフィールドの、アイルランドから移民した貧しい家に生まれた。彼女は十歳のときに、救貧院に入れられ、悲惨な少女時代を送った。さらに子どものときに目を患って、ほとんど全盲に近い状態となり、そのため、十四歳の一八八○年十月にパーキンス盲学校に入学した。幸い彼女の視力はその後いくぶん回復した。一八八六年に学校を卒業すると、アナグノス校長からヘレンの教師に推薦され、一八八七年一月までの約半年間の準備期間中に、ローラ・ブリッジマン(一八二九~一八九八、有名な盲聾者、パーキンス盲学校でハウ博士の教育を受ける)の教育にあたったハウ博士(一八○一~一八七六、盲聾教育のパイオニア)の報告書から学んだ。
 一八八七年三月より、サリバンによるヘレンの教育は始まった。それは、ヘレンが満七歳になる三カ月前であった。彼女は一歳八カ月のときにかかった思い病気のために聴力と視力を失い、このときまで教育を受けずにおかれていた。
 つぎにのせるのは、サリバンが親友のホプキンス夫人(パーキンス盲学校の寮母でサリバンにとっては母親がわりであった)にあてた手紙である。最初の手紙は、彼女がタスカンビアに到着した三日後から始まる。」

つかみどりのヘレン・ケラー。下「」引用。

「ヘレンの食事作法はすさまじいものです。他人の皿に手をつっこみ、勝手にのとって食べ、料理の皿がまわってくると、手づかみで何でもほしい物をとります。今朝は、私の皿には絶対に手を入れさせませんでした。彼女もあとに引かず、そうした意地のはしりあいが続きました。-略-」

「つたみどりの家」から……。下「」引用。

「この前あなたにお便りしてから後、ヘレンと私は「つたみどりの家」と呼ばれているケラー屋敷から1/4マイルばかりのところにある一軒家にふたりだけで暮らすことになりました。なぜなら私は家族と一緒ではヘレンの教育はできないと考えたからです。-略-」

ヘレンのおじは、ケラー博士。

象とサーカス、1887年11月13日。下「」引用。

「私たちはヘレンをサーカスに連れて行きました。そこで「生まれて初めておもしろい経験をしました。サーカスの人たちはヘレンに大へん興味をもち、彼らのしてくれたことがどれも生まれて初めてのサーカスを彼女にとって忘れられない事件にしました。
 危険のない限り、彼女に動物をさわらせてくれました。ヘレンは象にえさをやったり、その大きな背に登らせてもらったり、象が輪のまわりを堂々と歩いているあいだは、「東洋の王女」の膝に抱かれていました。子どものライオンにもさわってみました。-略-」

情愛が強いヘレン・ケラー。

エドワード・エヴァレット・へイル博士はヘレンの親類。

話し方習う。下「」引用。

「この会話のあったしばらくあとで、ひとりの婦人が彼女に会いに来て、眼と耳の悪いノルウェーの子どものラグンヒルド・カーターについて話した。カータは指で教師の唇にさわって教師の言ったことを理解し、話し方を教わったのである。それを聞いてヘレンは即座に話し方を習おうと決心し、その日から今日までその決心が揺らいだことはなかった。」

フラー先生へ。下「」引用。

「彼女を教えるには、私は不適格だと思い、まだ正式な発生の勉強をしたこともなかったので、私は助言を求めに生徒をサラー・フラー先生のところへ連れて行った。
 フラー先生はヘレンの熱心さに喜んで、すぐに彼女を教えはじめた。数回の授業で彼女は英語の音をほとんど覚え、一カ月たたないうちに、多くの単語をはっきり発音できるようになった。最初から彼女は一つの音だけを練習するのにの満足せず、単語や文章を発音したがった。-略-」

自然……。下「」引用。

「私はこれまで何度も、ヘレンが自然に、つまり他の人と同じように話せるようになると考えたかどうかと質問された。私はこの質問に答えたり、あるいはこれに関して意見をのべようと思わない。ただ私は、可能性がどこまであるか前もって知ろうとはしなかった。フラー先生の最初の授業以後は何の正規の教育を受けていないにしては、ヘレンの話し方はうますぎるといつて聾児の教師は驚く。私はつぎのように答えられるだけである、「それは、人まねの習慣、そして練習、練習、練習の結果です」。子どもがどうやって話し方を学ぶかは自然が決め手いることであり、私たちにできることは、できるだけ単純なそしてやさしい方法で子どもを手助けしながら、声の響きをよく観察してまねさせるようにするだけである。」







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