磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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南京事件-体験者27人が語る

2010年07月24日 | 読書日記など
『南京事件-体験者27人が語る 虐殺の「その時」とその後の人生-』
   笠原十九司・著/高文研2006年

帯に書かれてあります。下「」引用。

「中国民衆の一人ひとりにとって、南京事件とは何だったのか--?
南京事件研究の第一人者が、南京近郊の村々や南京城内に生きる体験者を訪ね、それぞれの人生に即して「被害」の実相を聞き取って初めての記録。あわせて中国における南京事件研究の歩みとの現状を伝える。」



国際法違反の日本。下「」引用。

「日本は中国にたいして宣戦布告もせずに、いきなり首都の南京を急襲、爆撃したのである。日本海軍機の「南京渡洋爆撃」は、宣戦布告や最後通牒なしに戦争を開始することを禁じた「開戦に関する条約」(一九○七年)ならびに非武装地域への爆弾投下と非戦闘員の殺傷を禁止した「陸戦の法規慣例に関する条約」(一九○七年にハーグで締結、ハーグ陸戦条約と記す)の二つの国際法に違反した行為であった。」

民間人を巻き込む。下「」引用。

「日本軍の残敵掃蕩(そうとう)、つまり敗残兵として残っていた者を皆殺しにするという戦法は、敗残兵が一般民衆の間に逃れた場合は、民間人を巻き添えにして殺害することになった。中国兵は便衣(民間服)に着替えて逃亡しようとしたため、多くの民間人男子が「便衣兵」の疑いをかけられて殺害された。」

レイプ……。下「」引用。

「山西村は南京城の南方、約一○キロにある幹線道路に沿った村である(本書地図参照)。南京城から近いため、一九三八年になっても日本軍の兵士が、繰りかえし「女性狩り」に襲来した。母が強姦され、叔母は逃げようとして殺害された。犠牲になった女性たちは村人から白眼視されることになった。」

纏足の叔母……。下「」引用。

「一九三八年の新年になって、日本兵はまた「花姑娘」探しに村にやってきた。-略-叔母は纏足(てんそく)をしていたので泳ぐことができずに、池から頭だけを出して立ったままでいた。その叔母を日本兵は池から引きずり上げ、強姦はあきらめたが、代わりに日本刀で叔母の頭を切り落してしまった。-略-」

レイプ被害者はいないというのが普通。下「」引用。

「聞き取りでは、自分の村については、たとえあっても、強姦被害者はいないというのが普通である。被害者個人と家族、一族の名誉にかかわるからである。」

私の戦争犯罪-朝鮮人強制連行-』という本を思い出した……。

“やらせ”の歓迎のあと……。南京近郊の村。下「」引用。

「多くの日本軍が午後四時半ごろから太陽が沈むころまで、つぎつぎとやってきた。陳智錫という人が、もし日本人を歓迎すれば殺されなくてすむといったので、みな外へ出て、われわれの地区の村西を通る街道(京杭路)に並んで日本軍を歓迎することにしたのでした。日本軍が目の前に来ると、陳智錫は並んだ村民みんなをひざまずかせました。-略-」

そのあと、斬首……。証言者は当時子どもだったので、日本兵が逃がしてくれたという。

“据えもの斬り” 下「」引用。

「南京を占領した日本軍は、城内で徹底した敗残兵狩りをおこない、婦女子をふくむ多くの民間人が連行されて殺害された。中国人を座らせておいて日本刀で首を斬り落す“据えもの斬り”もおこなわれた。」

“陸の孤島” 下「」引用。

「日本軍占領の南京は「陸の孤島」となり、女性は危険で南京から脱出することができなかった。また居住区からの移動も困難であった。そのため、日本兵に長期にわたって何回も強姦、輪姦されることになった。」

貧困層が被害にあった……。下「」引用。

「南京事件の被害にあった人たちが貧困層に属していたことがよくわかる。日本軍が南京城に侵攻してくることが分かっていても、金もなく、交通手段もなく、避難していく親類縁者や知人のつてもないという都市貧困層が南京城内に残留し、さらに難民区へ避難できる金銭、食物、衣類、寝具もない最貧困層があばら屋、バラックに留まっていて、日本軍に襲撃され、犠牲になったのである。-略-改めて、戦争で犠牲になるのはいつも貧しい階層の民衆である事実を実感させられた。」

金持ちやお偉いさんは逃げていた……。
日本も満州で、同様でしたね……。

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