磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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南京難民区の百日-虐殺を見た外国人-

2010年07月24日 | 読書日記など
『南京難民区の百日-虐殺を見た外国人- 岩波現代文庫 学術 150』
   笠原十九司・著/岩波書店2005年

表紙の裏に書かれてあります。下「」引用。

「一九三七年一二月、日本軍侵攻下の南京で避難民救済に奔走した外国人は、虐殺の実相を記録していた。本書は、彼らが残した史料と証言にも依拠して、南京攻略戦の発端から虐殺の終焉に至るまでを描き、現代史の焦点に迫る。この十年の南京事件研究の新展開に則り、全章で新たに加筆した決定版。」



同じ意味、難民区と安全区(Safty Zone)。
南京安全区国際委員と南京国際赤十字委員とも本部も同じで、共同して同じ活動していたという。

ミニー・ヴォートリン(Minnie Vautrin)。下「」引用。

「金陵女子文理学院の教授、宣教師、五一歳。南京国際赤十字委員会委員。日本軍の南京占領時、金陵女子文理学院に婦女子だけの難民キャンプの開設、その責任者となる。一九四○年五月アメリカに帰国、翌年五月ガス自殺。」

自殺したミニー・ヴォートリン。下「」引用。

「一九四一年の五月一四日、アメリカ合衆国の北部にあるインディアナ州の州都、インディアナポリスにあった連合キリスト教伝道団の秘書のアパートの一室で、一人の女性宣教師が台所のストーブの栓を開いてガス自殺をとげた。
「私の中国での伝道は不成功に終わった」「不知の精神病に苦しむよりは死ぬほうがまだ楽です」という旨の走り書きの遺書が残されていた。-略-」

中国人の恩人として勲章をもらっていたという。

生き仏だったミニー。下「」引用。

「日本軍占領下の南京難民区に住んでいた市民で彼女を知らない人はいない。当時、彼女は難民から、とくに婦女子の難民から「生き仏」「観音様」と呼ばれて慕われ、頼りにされた。南京に存命する当時の難民生活を知る老婦人たちは、今でも彼女のことをはっきりと覚えていて、彼女の勇気と奮闘にたいして強い尊敬の気持ちをつづけている。-略-」

自殺においやった日本軍の記憶……。下「」引用。

「ミニー・ヴォートリンを自殺に追いこんだ精神錯乱の傷害は、日本軍の南京攻撃と南京占領がもたらしたものであった。日本軍攻撃下の、そして占領下の南京で彼女が目撃し、体験したことの恐怖と衝撃が彼女の神経と心に深い傷を与えた。その傷は癒えるどころか日中戦争の拡大、そして第二次世界大戦の勃発によつてさらに深刻となり、ついには彼女の精神を錯乱させ、自らの命を絶つという破壊的作用を及ぼすにいったのである。-略-」

もくじ

「空襲下と南京」ウィルソン医師のことが書かれてあった。

日本軍の毒ガス。下「」引用。

「南京の新聞やラジオは、日本軍が浙江省の海寧で毒ガス弾を使用したということを伝えていた。南京の衛生事務所が製造した防毒マスクが市販され、南京の各界人士の参加する新生活運動総会は、市民に毒ガスに対する知識と防護の方法を周知、徹底するための宣伝活動を開始した。また、南京在留のアメリカ人には、アメリカ大使館から防毒マスクが支給された。-略-」

毒ガス・イペリットの被害者が上海戦から送られてきたという

index

世界からの日本非難。下「」引用。

「南京空襲とおなじように、日本軍機による都市爆撃は、上海、広州、杭州、漢口、南昌などの諸都市におよび、一○月中旬までに華中、華南の大中小都市の六○カ所以上が爆撃の被害をうけた-略-
 中国における日本軍機の都市爆撃は世界に報道されて、世界の憤激を引き起こしていった。-略-」

柳川部隊法務部で処理した兵士の犯罪事件の一覧があり、強姦の事例があるという。

軍隊生活と性欲処理……。下「」引用。

「-略-日本の軍隊生活は、兵士個人の人権を抑圧し、人権を抑圧し、人権を蹂躙する側面が多かったが、それにたいする反発や不満、あるいは怒りを「女を買ったり」「女を抱いたり」することで紛らわせる仕組みも備えていた。つまり女性を兵士の性欲処理に利用し、低次元で欲求不満を解消させたのである。外地戦場への出征をまえにした部隊が一日の休暇を兵士にあたえ、「この世のなごりに」と多くの兵士が赤線地帯といわれた売春街にいったのも、そうした日本軍隊の風習をものがたるものであった。」

黙認した……。下「」引用。

「早尾軍医は前線で強姦が多発した要因に「部隊長は兵の元気をつくるにらかえって必要として、見て知らぬ振りに過ごしたのさえあった」ことをあげている(前掲『従軍慰安婦資料集』二二九頁)。南京攻略軍の部隊では、兵士の憤懣や不幸を雲散させ、南京攻略に駆り立てるための、カンフル剤として「中国女性を征服し」「力ずくで女をものにする」という婦女陵辱行為が黙認されたのである。
 戦場の役得として強姦を黙認するような体質をもともと日本軍はもっていたことを早尾軍医は以下のように指摘している。-略-」

南京難民区国際委員会の成立。下「」引用。

「委員長には、ジーメンス社南京支社の支配人として南京に残留していたドイツ人のジョン・H・D・ラーベが就いた。彼は熱心なナチス党員で南京のナチス党支部長代理でったが、日本と同盟国のドイツ人を表に出すことで、日本当局との折衝を有利にしようとしたベイツやスマイスらの要請を受けて、人道的な立場から喜んで引きうけた。-略-」

「南京大虐殺の始まり」

日本と同じで、階級ごとに脱出……。下「」引用。

「ミニー・ヴォートリンは、南京から脱出していく市民のようすを、まず裕福な階層が船や自動車やトラックで長江上流の漢口やさらに西へと移動していき、ついで中流階層がこれにつづき、最後に貧しい階層の人たちで避難できる市民が、人力車や荷車に食糧や布団や家財道具をつめた箱を積み込んで、近郊の農村に避難していったと記している。これらの慨して貧しい階層の人々は、もともと近郊農村の農民であったが土地や農具がないために農村で生活できず、稼ぎ口をもとめて南京にでかけ、そのまま底辺の労働者、行商人、雑業者として南京南部の密集区や、城壁の周辺の貧民街に住みつくようになったものが多かった。したがって、このような非常時には、避難のために一時身を寄せさせてもらえる家族や同族・親族が農村にいたのである。-略-」

農村を焼きつくす日本軍。下「」引用。

「南京途上の日本軍は通過していく村々を焼却していったれ「放火の軍隊」であった。日本兵士が陣中日記に頻繁に記した村落の放火は、住民の側からみれば悲惨なものだった。」

「誤報におどる日本国民」内地のラジオが南京陥落と伝えたという。

『読売新聞』『東京朝日新聞』も誤報をつたえたという。そして、東京でも祝賀提灯行列が繰り出し、国会議事党に電飾(イルミネーション)が点じれられたという。

「あとがき」 下「」引用。

「-略-日本軍の南京攻略とその後の占領期間、南京地区の軍民に対する日本軍の残虐・虐殺行為が続いたのが、むよそ百日間であり、この間に南京難民区に避難した二○万以上の民衆がさまざまな暴行と被害を受けたという意味である。
 本書の目的は、難民区国際委員会で活躍したアメリカ人宣教師たちの記録を中心にして、日中全面戦争の序盤におこなわれた南京攻略のために、中国の民衆と兵士がどのような犠牲を被ったかを明らかにすることであり、その中で日本軍がおこなった南京大虐殺事件についてその全体の歴史像を描いてみることになあった。-略-」








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