『福島 原発と人びと 岩波新書 新赤版 1322』
広河隆一・著/岩波書店2011年
表紙の裏に書かれてあります。下「」引用。
「全世界に衝撃を与えた福島第一原発のメルトダウン事故。発生直後から現地取材を重ねてきた著者は、地元住民、事故処理に携わる作業員、避難した人びと、放射能の不安のなかで暮らす子どもたちの声を、克服に報告する。政府・東京電力は何を隠したのか。チェルノブイリ事故からいま学ぶべき教訓とは何か。写真多数。」
検証なしの御用マスコミ。下「」引用。
「後になって、東電も政府も、多くのことを国民に知らせず、意図的に隠していた事実が次々に明らかになっていった。こうした状況で、事故直後の最も大切な時期に、メディアが自分の取材や発表の検証を行わないで、まるで中継のように東電や政府の言い分や分析を伝えることしかしなかったのは、かえって国民に動揺や不安を与え、大きな問題を残すことになった。-略-」
自殺、有機栽培農家男性。下「」引用。
「須賀川市では三月、有機栽培農家の男性が自殺した。政府が一部の福島県産の農作物から暫定基準値(一キログラムあたり放射性ヨウ素二○○○ベクレル、放射性セシウム五○○ベクレル)を上回る放射性物質が検出されたとして、摂取制限を求めた翌日だった。
「そのニュースを聞いたときは、自殺しないで他の場所で農業を続けてほしかったっと思いました。でも、六○歳すぎまで一生かけて土つくってきたんですよね。全否定されたって思ったんでしょう」
「自然食文化の破壊」 下「」引用。
「「自然食仲間は放射能にも当然敏感なので、けっこう早くから県外に脱出していきました。でもこの須賀川市は実は微妙に線量が低いので、無防備に普通に暮らしている人も多く、そのような方々に「放射能なんかさすけね(大丈夫)! あんたみたいに心配してっと余計にあぶね!」と言われがちです。だから、つらいとこなんです。ここに来るお客さんも敏感だし」」
チェルノブイリとの比較はタブー。下「」引用。
「三月一一日の事故からしばらくの間は、前述のように福島原発事故とチェルノブイリ原発事故を並べて比較したり、語ることは「不安をあおる」行為とみなされた。」
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「放射能から身を守るということ」 下「」引用。
「放射能から自分を守るということは、何を意味するのだろうか。それは、放射線医学の権威者たちから身を守ること、原子力産業の発展を目指すIAEAから身を守ること、原子力推進政策をとる政治家たちから身を守ること。推進でないけれども結果的に妥協を繰り返そうとする政治家やメディアから身を守ること、放射能は安全だという学者たちから自分たちを守ること、そうした人びとや機関によって封じられた「事実とデータへのアクセスの権利」を得る手段をなんとかして手に入れること。そして、それを妨害しようとして「風評、デマに惑わされるな、安全だ、ただちに健康に影響はない」などの言葉を用いる人間たから身を守ることである。」
重松逸三の弟子の長瀧と山下。下「」引用。
「そして、重松氏の後をついで放影研の理事長となったのが、チェルノブイリと福島を比較する文書を官邸から発表した長瀧重信・長崎大学名誉教授であり、長瀧名誉教授と多くの共同研究を行い弟子筋にあたるのが、山下俊一・長崎大教授である。飯舘村で講演を行った高村昇・同教授は山下氏の同僚である。」
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WHOと長瀧の文章で重要なのは……。下「」引用。
「しかし実際には、IAEAやWHOなどがつくるチェルノブイリ・フォーラムは二○○五年九月、「チェルノブイリ事故にともなう放射線被曝による最終的な死者数は約四○○○人」と推定している。さらにこの数字は、被災国から強烈な反発を受け、翌年にWHOは約九○○○人と改めた。これは被災者、被災地域を限定した上での最小限の予測であり、さまざまなNGOや研究者によっては、死亡者数は九万三○○○~九八万五○○○人にのぼると推定しているのである。
首相官邸ホームページに掲載された長瀧(*重信)名誉教授らの文章で重要なのは、三週間以内に亡くなった人びとが放射線による死亡と認められ、四週間以降に亡くなった人びとがそうとは認められなかったという点である。これほど不思議な話があるだろうか。東海村のJCO事故で亡くなった二人は、八三日後、二一一日後に死亡している。チェルノブイリ消防署のテリャトニコフ消防隊長に私は会ったことがあるが、彼はモスクワ第六病院の後、キエフの放射線医学研究所に入退院をくり返し、二○年後に死亡した。この人の死亡はウクライナではチェルノブイリによる死と認定されているが、長瀧氏らはそれを認めない。
もちろんあらゆる病気は放射能との因果関係を立証するのは困難だ。それをいいことに、病気と事故との関係を否定する。しかし多くの人びとは病気になり、死亡している。-略-」
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山下俊一は5年後10年後の罪……。下「」引用。
「Yさんが子どもたちを連れ帰った理由だが、一番の理由は山下教授が大丈夫だと言ったことだった。
「マスクなんかしなくて空気いっぱい吸って、気持ちを明るくもてばそのほうがいいですから」と教授は言ったという。-略-Yさんの妻は「山下教授は、五年後一○年後に残る罪作りをしたんです」と言う。
Yさんが、あのとき山下教授が言っていたことが本当なのかと疑問に思うようになったのは、インターネットで調べ始めてからだった。教授の名前を打ち込んだら、「御用学者」というキーワードが出てきた。-略-」
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もくじ
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広河隆一・著/岩波書店2011年
表紙の裏に書かれてあります。下「」引用。
「全世界に衝撃を与えた福島第一原発のメルトダウン事故。発生直後から現地取材を重ねてきた著者は、地元住民、事故処理に携わる作業員、避難した人びと、放射能の不安のなかで暮らす子どもたちの声を、克服に報告する。政府・東京電力は何を隠したのか。チェルノブイリ事故からいま学ぶべき教訓とは何か。写真多数。」
検証なしの御用マスコミ。下「」引用。
「後になって、東電も政府も、多くのことを国民に知らせず、意図的に隠していた事実が次々に明らかになっていった。こうした状況で、事故直後の最も大切な時期に、メディアが自分の取材や発表の検証を行わないで、まるで中継のように東電や政府の言い分や分析を伝えることしかしなかったのは、かえって国民に動揺や不安を与え、大きな問題を残すことになった。-略-」
自殺、有機栽培農家男性。下「」引用。
「須賀川市では三月、有機栽培農家の男性が自殺した。政府が一部の福島県産の農作物から暫定基準値(一キログラムあたり放射性ヨウ素二○○○ベクレル、放射性セシウム五○○ベクレル)を上回る放射性物質が検出されたとして、摂取制限を求めた翌日だった。
「そのニュースを聞いたときは、自殺しないで他の場所で農業を続けてほしかったっと思いました。でも、六○歳すぎまで一生かけて土つくってきたんですよね。全否定されたって思ったんでしょう」
「自然食文化の破壊」 下「」引用。
「「自然食仲間は放射能にも当然敏感なので、けっこう早くから県外に脱出していきました。でもこの須賀川市は実は微妙に線量が低いので、無防備に普通に暮らしている人も多く、そのような方々に「放射能なんかさすけね(大丈夫)! あんたみたいに心配してっと余計にあぶね!」と言われがちです。だから、つらいとこなんです。ここに来るお客さんも敏感だし」」
チェルノブイリとの比較はタブー。下「」引用。
「三月一一日の事故からしばらくの間は、前述のように福島原発事故とチェルノブイリ原発事故を並べて比較したり、語ることは「不安をあおる」行為とみなされた。」
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「放射能から身を守るということ」 下「」引用。
「放射能から自分を守るということは、何を意味するのだろうか。それは、放射線医学の権威者たちから身を守ること、原子力産業の発展を目指すIAEAから身を守ること、原子力推進政策をとる政治家たちから身を守ること。推進でないけれども結果的に妥協を繰り返そうとする政治家やメディアから身を守ること、放射能は安全だという学者たちから自分たちを守ること、そうした人びとや機関によって封じられた「事実とデータへのアクセスの権利」を得る手段をなんとかして手に入れること。そして、それを妨害しようとして「風評、デマに惑わされるな、安全だ、ただちに健康に影響はない」などの言葉を用いる人間たから身を守ることである。」
重松逸三の弟子の長瀧と山下。下「」引用。
「そして、重松氏の後をついで放影研の理事長となったのが、チェルノブイリと福島を比較する文書を官邸から発表した長瀧重信・長崎大学名誉教授であり、長瀧名誉教授と多くの共同研究を行い弟子筋にあたるのが、山下俊一・長崎大教授である。飯舘村で講演を行った高村昇・同教授は山下氏の同僚である。」
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WHOと長瀧の文章で重要なのは……。下「」引用。
「しかし実際には、IAEAやWHOなどがつくるチェルノブイリ・フォーラムは二○○五年九月、「チェルノブイリ事故にともなう放射線被曝による最終的な死者数は約四○○○人」と推定している。さらにこの数字は、被災国から強烈な反発を受け、翌年にWHOは約九○○○人と改めた。これは被災者、被災地域を限定した上での最小限の予測であり、さまざまなNGOや研究者によっては、死亡者数は九万三○○○~九八万五○○○人にのぼると推定しているのである。
首相官邸ホームページに掲載された長瀧(*重信)名誉教授らの文章で重要なのは、三週間以内に亡くなった人びとが放射線による死亡と認められ、四週間以降に亡くなった人びとがそうとは認められなかったという点である。これほど不思議な話があるだろうか。東海村のJCO事故で亡くなった二人は、八三日後、二一一日後に死亡している。チェルノブイリ消防署のテリャトニコフ消防隊長に私は会ったことがあるが、彼はモスクワ第六病院の後、キエフの放射線医学研究所に入退院をくり返し、二○年後に死亡した。この人の死亡はウクライナではチェルノブイリによる死と認定されているが、長瀧氏らはそれを認めない。
もちろんあらゆる病気は放射能との因果関係を立証するのは困難だ。それをいいことに、病気と事故との関係を否定する。しかし多くの人びとは病気になり、死亡している。-略-」
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山下俊一は5年後10年後の罪……。下「」引用。
「Yさんが子どもたちを連れ帰った理由だが、一番の理由は山下教授が大丈夫だと言ったことだった。
「マスクなんかしなくて空気いっぱい吸って、気持ちを明るくもてばそのほうがいいですから」と教授は言ったという。-略-Yさんの妻は「山下教授は、五年後一○年後に残る罪作りをしたんです」と言う。
Yさんが、あのとき山下教授が言っていたことが本当なのかと疑問に思うようになったのは、インターネットで調べ始めてからだった。教授の名前を打ち込んだら、「御用学者」というキーワードが出てきた。-略-」
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