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文集文庫 大本営参謀の情報戦記 情報なき国家の悲劇

2008年04月04日 | 読書日記など
『文集文庫 大本営参謀の情報戦記
   情報なき国家の悲劇』
     堀栄三・著/文藝春秋1996年

やはり、いつものことが戦時中から続けられてこられたということが認識できる本かと思います。それほど、日本の人たちは劣っていたとは思えません。社会の中枢のリーダーが劣っているというのなら納得しますし、進駐軍も英国の学者も認めていたかと思います。



知られては困るということが知りたいものですね。下「」引用。

「とろこが情報の中には、売りたくない情報、教えたくない情報、知られては困る情報も多々ある。そのような情報の多くは、相手に取られると、こちらの意図や意中を悟られて不利益をまねく類いのもので、それをめぐって取ろうとする者と隠そうとする者との間には、必然的に争いが生じる。この争いが情報戦とか、最近では諜報戦などと言われている。何も国家間に限ったことではなく、企業間にも、あるいは政治や社会生活の場でも、相手が隠そうしていることを探るための闘争や競争は絶えず生起している。そしてこの闘争では当然、相手が隠している情報を知った方が有利になる。」

今も原発の資金の流れなどを公開してもらいたいものです。石原銀行もまた同様ですね……。

わからないままが現実だったようです。下「」引用。

「実際の戦場では知りたい情報の半分にも満たない情報で、敵の意中もわからないままに、暗中模索の中で戦いを進めていることがざらである。」

作者の実体験を元にして書かれた本であるという。下「」引用。

「本書は、情報の「ジョ」の字のトレーニングを受けたことのない一軍人が、たまたま太平洋戦争中には大本営の情報参謀として、戦後は自衛隊の国外班長、アタッセ、統幕第二室(情報室)室長として情報の世界に放り込まれて、眼前に展開された戦場や、また平時の仕事の中で、情報の手法を盗み、あるいは手ほどきを受けながら、霧の中に包まれた情報をどのように入手し、分析解明して、情報の「職人的な勘」を獲得してきたかの実体験を、失敗や錯誤も包み隠さずに紹介しようとしたものである。同時に、情報戦という見地から、自分がかかわった太平洋戦争及び戦後の自衛隊の姿を見つめ直してみようとしたものである。」

サラリーマンならという表現がおもしろかった。下「」引用。

「本文中では再々、戦略・戦術・戦場という昔の軍隊用語が出てくるが、もし企業の方々が読まれる場合には、戦略は企業の経営方針、戦術は職場や営業の活動、戦場は市場(マーケット)、戦場の考察は市場調査(マーケッティング・リサーチ)とでも置き換えて読んで下されば幸甚である。」

軍は玩具にされていたという。下「」引用。

「日本の軍刀汲みといわれた連中は、クラウゼヴィッツの原則の表面の字だけを覚えて、その奥の深層に迫ろうとしなかった。軍人には軍事研究という大へんな仕事があったのに、軍の中枢部の連中は、権力の椅子を欲しがって、政治介入という玩具に夢中になりだした。」

政治家、官僚などによって、今も日本は玩具にされていますね。

アメリカ本土の情報が入手できなかったという。

「治にいて乱を忘れ」とは今もそうだろう……。下「」引用。

「日本の作戦当事者は、「治にいて乱を忘れ」て、大正十年以来惰眠(だみん)をむさぼっていたといえよう。」

■ 米軍が見た日本軍五つの敗因 下「」引用。

「1. 軍部の指導者は、ドイツが勝つと断定し、連合国の生産力、士気、弱点に関する見積りを不当に過小評価してしまった。(註、国力判断の誤り)
2. 不運な戦況、特に航空偵察の失敗は、最も確度の高い大量の情報を逃がす結果となった。(註、制空権の喪失)
3. 陸海軍間の円滑な連絡が欠けて、せっかく情報を入手しても、それを役立てることが出来なかった。(註、組織の不統一)
4. 情報関係のポストに人材を得なかった。このことは、情報に含まれている重大な背後事情を見ぬく力の不足となって現われ、情報任務が日本軍では第二的任務に過ぎない結果となって現われた。(註、作戦第一、情報軽視)
5. 日本軍の精神主義が情報活動を阻止する作用をした。軍の立案者たちは、いずれも神がかり的な日本不滅論を繰り返し声明し、戦争を効果的に行うために最も必要な諸準備を蔑(ないがし)ろにして、ただ攻撃あるのみを過大評価した。その結果彼らは敵に関する情報に盲目になってしまった。(註、精神主義の誇張)」


もし戦時中の日本にきちんとした統一組織があったとしたら……。下「」引用。
「昭和二十年七月十六日ニューメキシコ州で新しい実験が行なわれた」というわずか二行の外電は、他の何かの諜報との関連づけから「原爆」という字が出ていたに違いない。」

原爆投下されてすぐに、「原爆」と理解できた日本人は永井隆博士だけではない。
それから言っても、それはそうだろうと思う……。

だけど、日本でも新兵器と新聞に……。
--もちろん、デマだったけど……。
日本同様にデマだとでも思ったのでしょうか?

もしわかっていたとしても、防げたかどうかはわからない。

なぜなら、焼夷弾があるのがわかっても、日本軍には止めることはできなかった。

外交努力はあったのだから、投下すると相手が決めていたら、日本軍にはどうしようもなかったろう……。

しかし、なぜ落とされたか?

--それには、差別主義があり、鬼畜米英などといい、自らは神の国などとうぬぼれていたということは、その基底にあることは否定できないだろう。

--軍事的にみれば、敗戦あって、原爆があると思う……。
美しい国や、神の国といっている人たちが、敗因であったことは間違いないだろうとも思う……。

そんな非科学的な人たちがいたからと言われても、ボクは否定できない。













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