磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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アンネ・フランクの世界

2007年04月03日 | 読書日記など

文藝春秋
アンネ・フランク・ハウスのことがよく理解できるビデオではないかと思われます……。

アンネ・フランクの世界
こんな時代に「アンネの日記」は生まれた


「アンネの日記」は、聖書の次に読まれた書物ともいわれていますね。

日色ともゑさんが、オランダの「アンネ・フランク・ハウス」に。

アンネの写真などが豊富に映し出されます。

ドイツ生まれのアンネ、ユダヤ系ドイツ人。

ドイツにヒトラーが登場し、ユダヤ人迫害。

幼いアンネも、ナチズムとは何かを知っていたという……。

逃れてオランダへ。

アンネが通っていた学校はいまでは「アンネ・フランク学校」と呼ばれているという。

ドイツ軍、オランダへ。

フランク一家は隠れ家に。

オランダの女王はロンドンへ亡命。

オランダ国内でもユダヤ人迫害がはじまる……。

オットー(アンネの父)は身を隠して暮せる隠れ家を準備した。

それはオットーの働いていた事務所の裏……。だいたんな発想。

本棚は隠し扉になっていた。

トイレは浴室としても使用されたという。

アンネの日記を読む日色さん。

オットーの会社の人たちが支援してくれた……。

支援者の名をかりて通信教育を受けていたという。

アンネの日記を読まれているとき、「神の摂理」という言葉がでてきました……。



















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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
アンネ一家を売った男は誰? (ひで坊)
2008-09-21 19:24:41
父親が必死になって守ろうとした自分の家族、息を潜めて生活することの続いた2年間の一家の努力、そして生き抜くことに賭けたその執念。にもかかわらず、悲劇は容赦無くフランク一家を襲う。フランク一家の逃避生活をゲシュタポに密告したものがいたのである。その人物が一体誰であったのかという、疑問は戦後長い間、謎とされアンネ・フランク財団においても追及されてきたわけだが、数年前に氏名こそ公表されなかったが、特定することが出来たとのニュースが新聞紙上にも掲載された。いつの時代も、どこの国でも
密告やスパイをする輩がいるということだ。
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書きこみ、ありがとうございます。 (磯野鱧男)
2008-09-21 21:19:27
ひで坊の気持ちはわかる……。

アンネ・フランクの小説を書いたことがあるんで、だいたい手にできる本は全部よみました。

アンネ・フランクが隠れ家に住んでいる時、食料を運んだりしてくれたミープは、その特定された人は犯人ではないと話していたと思いますよ。今は、原爆で忙しいので、しばらくしてから確認します……。

アンネの父、オットーは戦後ドイツ国籍があるので、ドイツ人と差部されたんだよ。オットーは人の憎しみを嫌ったそうです。オットーは、第一次大戦では勲章をもらったヒーローだったから、アウシュビッツ送りはされないですむところ、家族とともに生きたいと願い、アウシュビッツに送られたそうです。

人の憎しみで戦争がはじめるとしたら、それを持ちたくないと思っているオットーは立派な平和主義者だったのかもしれない。

戦時中の日本では軍国少年以外の少年をさがすことは難しかったそうだよ。今、日本で軍国少年をさがすよりむずかしいそうです。




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