朝日新聞夕刊1991年7月19日
原爆の子●19●
空白への挑戦
被爆資料前に絶句
世話好きのバスガイド
「『原爆の子』の執筆者でつくる親睦(しんぼく)団体「きょう竹会」の事務局は、広島市郊外の早志百合子の自宅にある。彼女が会長を引き受けて十二年になる。一九五二年(昭和二十七年)に生まれた「原爆の子友の会」は、長田新が六一年に亡くなると、潮が引くように自然消滅した。−略−そんな彼らが七二年に再会する。友の会を結成した思い出の広島大文学部二二番教室で「長田先生をしのぶ会」を催したのだ。全国から、父となり母となった約五十人がかけつけた。』
早志百合子さん。美と健康の創造をテーマに、
体操の先生としても活躍している
=広島市西区の3B体操の教室で
平和を望むだけで「反米派」とか。
「あれは反米派の養成所」といわれてはたまったものでありせんね。
核戦争を政治的にだけでなく、科学的に考えてももらいたいものですね。
政治的に考えると、左翼の支持している国も核兵器をもっているし、もちろん私はそれにも反対です。
しかし現在でさえ、平和はいうけれど、そのような国の核兵器には反対しない人たちもいます。
先日のラジオでもこのことを話題になっていました。
政治的にはどちらも、核兵器容認でしよう。ただ敵国と想定される国は軍縮させて弱くするために平和を訴える、そんな政治的な人たちは、本当の平和をもとめているわけでもありませんね。
反原発ではなく、あっては困るので、“脱”原発と、高木仁三郎は訴えていました。核兵器も反対ではなく、脱核兵器ではないでしようか? こんなもの、この世に存在させておく理由はありません。政治的なことを除けば……。科学的に考えていただきたいものですね。
ABCCがジープで追っかけまわして、逃げ回ったことが書かれてあります。
そしてバスガイドとして、ヒロシマを伝えられたそうです。
もくじ
原爆の子●19●
空白への挑戦
世話好きのバスガイド
「『原爆の子』の執筆者でつくる親睦(しんぼく)団体「きょう竹会」の事務局は、広島市郊外の早志百合子の自宅にある。彼女が会長を引き受けて十二年になる。一九五二年(昭和二十七年)に生まれた「原爆の子友の会」は、長田新が六一年に亡くなると、潮が引くように自然消滅した。−略−そんな彼らが七二年に再会する。友の会を結成した思い出の広島大文学部二二番教室で「長田先生をしのぶ会」を催したのだ。全国から、父となり母となった約五十人がかけつけた。』
早志百合子さん。美と健康の創造をテーマに、
体操の先生としても活躍している
=広島市西区の3B体操の教室で
平和を望むだけで「反米派」とか。
「あれは反米派の養成所」といわれてはたまったものでありせんね。
核戦争を政治的にだけでなく、科学的に考えてももらいたいものですね。
政治的に考えると、左翼の支持している国も核兵器をもっているし、もちろん私はそれにも反対です。
しかし現在でさえ、平和はいうけれど、そのような国の核兵器には反対しない人たちもいます。
先日のラジオでもこのことを話題になっていました。
政治的にはどちらも、核兵器容認でしよう。ただ敵国と想定される国は軍縮させて弱くするために平和を訴える、そんな政治的な人たちは、本当の平和をもとめているわけでもありませんね。
反原発ではなく、あっては困るので、“脱”原発と、高木仁三郎は訴えていました。核兵器も反対ではなく、脱核兵器ではないでしようか? こんなもの、この世に存在させておく理由はありません。政治的なことを除けば……。科学的に考えていただきたいものですね。
ABCCがジープで追っかけまわして、逃げ回ったことが書かれてあります。
そしてバスガイドとして、ヒロシマを伝えられたそうです。
もくじ