磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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中国百年-重い軌跡-第3部

2008年09月08日 | 読書日記など
『中国百年-重い軌跡-第3部』
   中国新聞社・編/浪速社1968年

100年のなかの、3部作め。
--原爆のことも出てきますが、軍国主義も書かれてあります。



昭和18年4月18日朝、連合艦隊司令長官山本五十六大将が戦死。
--1カ月間は国民に知らされることはなかったという。

6月5日、東京・日比谷公園で国葬。
「元帥につづけ」が合い言葉。下「」引用。

「 全国民の合いことば 「元帥の死をムダにするな」「山本元帥につづけ」--これが全国民の合いことばとなった。軍部もそのように世論を誘導することに努めたようだ。
 戦死公表の日、大本営海軍報道部長矢野英雄少将は「山本元帥をしのびて」と題して、午後七時半から全国へラジオ放送している。」

そして、献金熱。
広島市に住む老婆も……。


被爆した息子を看病する母の日記があった。

戦犯のことが書かれてあった。下「」引用。

「豪州戦犯法は戦後、一方的悪感情に基礎を置き、急いで制定せられ、また日本軍の種々の事情を考慮せず規定せられた……」
 と戦犯法が“事後法”であることを指摘する。」

「急ごしらえのカマボコ兵舎の中で戦犯者は次々に断罪された」



ロープで拷問されたという……。下「」引用。

「船がコーラブライトに寄港して作業中、笠間英治軍属は二人かがりの豪州兵にはだかにされ、ロープでしばられて海面に宙づりにされたあと、五、六人に囲まれて殴打され、指輪を抜き取られた。」

耐えきれず自殺した者もいたという……。下「」引用。

「敗戦後、北ボルネオ俘虜収容所長だった菅辰次中佐は、連日連夜にわたる豪州兵の暴行に耐えかね、九月十五日(昭和二十年)自ら水筒で頭を打ち、ホークで首を切り、悲惨な自殺を遂げた。ボルネオ燃料廠長だった相原大佐も自殺した。中田大尉や山本軍医中尉も二回にわたって自殺を図った。」


--第五福竜丸事件のとき、米国の弁護士はなかなか引き受けず、自由人権協会ロサンゼルス支部のA・L・ウイリン氏などが受入れてくれたという。
--「真珠湾を忘れるな」の時に、なかなかできないことと書かれてあった。

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--「原爆裁判」
個人にない請求権……。下「」引用。

「国際法上違法な戦闘行為によって被害を受けた個人は……一般に国際法上その損害賠償を請求する道はない。したがって残るところは交戦国の一方または双方の国内裁判所に救済を求めることが可能かどうかということに帰する」
 だが日本の国内裁判所による救済は不可能である。なぜなら「国家が他の国家の民事裁判権に服したことは、国際法上確立した原則」であり、わが国もこの原則を承認しているからだ。
 また米国の国内裁判所による救済もダメだ。それは“主権免責の法理”から、国家ばかりではなく、トルーマン大統領を含めて国家の最高執行機関がその職務を遂行するに当たって犯した不法行為については、個人としてその責任を負わないことになっているためだ。」

悪法ならば、変えるべきであるとボクは思う……。

被害者のためでもあるが、このような愚かなことを加害者が繰り返さぬためにも……。

アメリカがこの時の否を認めていたら、あるいは他者が認めさすことができたら、こんなにひどい世界になっていなかったと、ボクには思える……。






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