磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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原民喜-----詩人の死

2008年02月26日 | 読書日記など
『原民喜--詩人の死』
   小海永二・著/国文社1978年

またもや、大田洋子のとりかこまれている環境や、原爆症のことなどをあまり知らずに批判されている本に出会いました。



芸術は何のためにあるのでしょうか?

それも人それぞれ……。

いろいろ文学もあるわけですね。

これは単なるボクの感想と思ってください。


大田洋子批判がなされています。下「」引用。

「大洋子が原民喜の自殺をどのように解釈しているかがこれでうかがわれる。前にも触れたように、朝鮮動乱が勃発すると、わたしたちの周囲に再び戦争の危機感がみなぎったことは近い歴史的事実であった。それが原民喜をおびやかしたことは事実であろう。彼には再び襲う原爆の悪夢が耐えられなかった。だが、戦争の不安によって自己を失いはじめて自殺したというのは充分に正しくない。」

どちらかといって、大きな視点でみているのは大田洋子のように、ボクには思えます。


著者はさらに大田洋子批判をする。下「」引用。

「彼女は、明らかに原民喜の死を敗北と見做している。大田洋子は、自己の弱さに対してどこ迄もねばり強く抵抗し、最後まで生き抜こうするとしんの強さを持つ作家であるが、共通の体験を持ったこの二人はの作家の差は際立って大きい。」

しかし、よく読んでもらたい大田洋子はこう書いているのだ。下「」引用。

「作家にとっては死は最後のものではなく、作品こそ最後のものでありたいし、文学が充分な発言権をもつものであることは、今後だれにも自覚されてくることになるだろう。」



原民喜も大田洋子も狂おしいばかりに人生をかけて、文学にとりくまれた……。

そのことは大田洋子も知っている……。

その価値をわかっていただきたい……。

もし、その文学を表現しなかったら、もっと楽な生き方もできただろうに……。

昔の作家は今のセレブ作家とは違った……。
--短命でもあった。

その位、本気で書いておられたのだ……。

そして、高見から人を見下す、セレブ文学者が生まれてくる……。

命や生活を削ってかいておられた原民喜や大田洋子……。

尊敬に値する文学者がいた……。

洋子もまた狂おしい生活を生きていた……。

それこそが大切なこと、死ではない……。

死を美化するな!

死はわからないものだ!

自殺はなるべくして欲しくない!

クイーンの歌。


そして、大田洋子もこんな状況ではなかったろうか?
病気でやせほそったフレディー。



普通の状況じゃないことぐらい理解できないで、どうして芸術というものが理解できるというのだ!


人間理解なくして、批判はひどいとしか思えない。

自死は今も昔も社会問題。

そして、医療や福祉が大切ですね。

そんなこともわからず、文学などというのは青臭いガキどもだとボクは思う。







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