磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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新聞資料原爆

2007年06月18日 | 読書日記など
『新聞資料原爆』
   小田切秀雄(監修者)/日本図書センター1987年

新聞資料と書いてありますが、朝日新聞一社だけです。このような新聞にも著作権があろうかと思いますが、25年たてば、いいようなことを書かれている方もいます。どうなのか素人なのでわかりかねます。ネットでも詳しいのは長崎新聞や中国新聞、両新聞社の記事が欲しいですね。



新聞をこうやってながめていると、間違っている箇所がこの一冊でも理解できるというものですが、新聞社というのは、テレビといっしょで垂れ流しなのでしょうか。

このような新聞記事の訂正記事もそえられて、ネットで公開してくだされば、貴重な資料となろうと思います。

いつものことがあるので、公開されないのかもしれません……。

どの人たちがウソつきか(意図的にだまそうとされているか)も理解しやすくなりますからね。

特に原発関連のことでは、虚報が多すぎる。それが歴史ですね……。新聞とテレビとは系列会社だし、テレビの一番のスポンサーは電気会社……。


昭和20年8月30日の記事で『「海底のやうな光」原子爆弾の空襲に遭って』というタイトルで大田洋子が書いています。

草饐(くさずえ) 評伝大田洋子--



昭和30年2月21日の記事では『原子力時代 ヒロシマに「発電所」を イェーツ決議案とその背景』。
もしかしたら、チェルノブイリ事故のようなことが起きていたかもしれませんね……。
--建てられたところは、広島ではありませんでしたが、近県ならチェルノブイリ級の事故が起きたら、広島にも影響があることは多くの人が知っていることですね。


目 次


昭和34年4月20日、『「日本人が追ってくる」発狂した原爆投下の米将校』というタイトルでクロード・イセリー元空軍少佐のことが書かれてありました。
今は、「イーザリー」と書いてあるように思います。


昭和39年3月4日、『やァ、立派になったネ カズンズ氏夫妻 “原爆乙女”らと再開』。
喜びをもって再開されたようです。

もくじ


昭和41年8月6日、『原爆詩“生ましめんかな”広島の主人母子わかる 悲惨な地下で誕生の子 健やかに二十一歳 ありがとう死んだ助産婦さん』という記事が、作詞の栗原貞子の写真とともに。

栗原さんは、この様子を一ヶ月後人聞きで知り、作詞されたようです。
この新聞記事では、助産婦はすぐ亡くなったかのように書かれてあります。
でも、本当は違うようです。

百日紅(さるすべり)の花

原爆詩を歌う チェコ少女合唱団 2007年


昭和41年8月6日、『米国からも協力 原爆ドーム修復費集め』。
アメリカにも平和主義の方はおられます……。









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