磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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原爆前後XI

2008年03月14日 | 読書日記など
『原爆前後XI』
   思い出集世話人・編/白井秀雄1972年

どうも、その当時に生きていたわけではないので、理解できないところも多々あります。



原爆投下前には、日本は孤立していましたね。下「」引用。

「大東亜戦争も開戦以来まる二年経過して昭和十九年になると、欧州においてはスターリングラードの独軍の完敗、つヾいてイタリアの無条件降伏と、相次ぐ盟邦の悲報に、世界大戦の焦点は欧州から太平洋に移り、わが国は世界の諸豪を相手に孤軍奮闘するという窮地に立ちいたった。」

そして内閣も代わり、パンフが配られたようです。下「」引用。

「このサイパン島陥落をキッカケとして、七月十八日には東条内閣が瓦解して小磯内閣成立し、人心を一新してあらためて戦意を盛り上げ難局突破を計ることになったが、このころ誰が執筆したものか解らぬが、「決戦の前夜」という時局批判のパンフレットが現われた。ちかごろ、これが私の筐底から出てきたので、当時の時局を偲ぶ一資料として、こゝに紹介させてもらう。」

はじめる前から、このアメリカとの戦争は勝つわけがないという。
それは、二十年前にも、もう書いていたジャーナリストがいたわけです。

帝国主義日本にNOと言った軍人水野広徳

しかし、檄文をとばしている。
--戦意高揚させたいのだろうが、こんなことで時局がかわるわけがない。

そして、他者に責任を転嫁しようとする。下「」引用。

「最近は、生産増強の一つの妨害として、土建関係の自由労務者の賃金の箆棒な暴騰が取上げられて来た。この日傭人夫の意想外の高値が、彼等の稼働率を低下させると共に、軍需工場の工員を欠勤させて、この方面に働かせる悪い傾向が少なくない。」

このような責任転嫁をしていては、問題解決はできないだろう。
しかし、当時の状況でアメリカに勝つなど不可能だったろう……。

「決戦の前夜」の結論。下「」引用。

「決戦は目前に迫っている。皇国の興廃・存亡と国民の生死を決する決戦は目睫の間にある。
 その前夜は、物も、人も、凡て戦力化して、明日の決戦に間に合わすべきである。」

医大が避難場所となっていたようです。下「」引用。

「あの日、あの時--昭和二十年八月九日午前十一時過ぎ、私は兵器製作所技術部(大橋町)三階設計室にいました。当日は朝から空襲警報が発令されたのですが、私たちの長船からの応援者は、発令のつど、岩屋山の麓の医大射撃場まで避難することになっていたので、あの時もそのようにしたのでした。」

特攻兵器「秋水」のエンジンの設計図。下「」引用。

「「あの図面はどうなっている?」--私は、はっとなりました。あとでも述べますが、私たちはドイツから潜水艦で運ばれた、ロケットの図面をもとにして、B29邀撃戦闘機「秋水」のエンジンを設計していたのです。その図面の取扱いは極めて厳重で、保管責任者が毎日、終業時に枚数をチェックして金庫に納めていました。若し一枚でも紛失したら、それこそ切腹ものだとも言われていました。それほどの大切な図面を、保管責任だった私はあの瞬間そのままにして職務を離れたことに気がついたのです。これは大変だ、あれを放置して大村に逃げるわけにはゆかない--私は何のためらないもなく、一旦乗込んだ列車を降りました。そして明日、図面を確認のため、あの職場に引き返そうと心に決めたのでした。」

名古屋出張の時、オーバーを盗まれた話なども書かれてありました。







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