磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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人類の未来をおびやかすもの 原子力公害

2008年05月09日 | 読書日記など
『人類の未来をおびやかすもの 原子力公害』
   アーサー・R・タンプリン、
     ジョン・W・ゴフマン(著)/
       徳田昌則(監訳)/アグネ1974年

いろいろな文献に登場するタンプリンと、ゴフマンの本。
--当然のことを書いているとボクには思えます。



表紙の裏に書かれてあります。下「」引用。

「ゴフマンとタンプリン両博士は、本書において放射能の恐ろしさを訴え、原子力利用に伴う危険の実態を、原子力開発の先進国アメリカにおける彼らの運動の経験をとおして告発している。現在、両博士はアメリカにおいて、五年間の原子力発電所運転および建設の一時全面中止を、また同時に放射線の許容基準の引き下げを求める運動を進めている。
また一九七三年八月に日本を訪れ、広島・長崎・新潟県柏崎市など各地で原発の危険を訴えた。」

人を人と思わぬシステム。下「」引用。

「原子力開発を推進するという見地から、人が死ぬのをみなければ人類の放射線害についてはなにも信用しないという血なまぐさい要求が作られてしまった。他のどんな分野をみてもそのようにとんでもないやり方をとっている所はない。-略-
 このようにして、人間に対する放射線障害の評価について、なにも知らない公衆を大きなごまかしであざむいてきた。実際、人間の白血病やガンの因果関係についての話は、まことに、ぞっとするような内容である。原子力技術を推進する人々は、人間に対する障害を評価するのに、あらゆる種類の白血病とガンのおのおののケースについて、死体を直接見ることが必要だと主張し、今なおそれを要求し続けている。このことは、人間に対する放射線障害をみごとに低く見積もることになった。」

この本ではありませんが。ひどい日本の学者もいます……。

チェルノブイリから広島へ

この本でも原発は安くないと書かれてありました。下「」引用。

「原子力エネルギーによる電力のコストは安いと宣伝されているが、実際には、公然とあるいは巧妙に隠された形で税金の補助を受けているので、真のコストはわからないようになっている。しかも、そういう「安さ」を達成するには、ウラン鉱山の坑夫を肺ガンで殺す必要さえあったのである。」

AECの不安鎮静術でうまれた許容量。下「」引用。

「この再確認の努力を始めた頃、早くもAECは公衆の恐怖をやわらげる際に一時しのぎになる有用な術を学んだ。放射能のある量までは安全であると仮定し(そのような安全にはなんの証拠もないのだが)、放出された放射能の量は“安全性の限界を超さない”ということを何度も繰り返すという術である。たぶんあらゆることの中で最も驚くことは、このまったくの嘘が、しかるべき期間部分的鎮静剤として作用しえた事実である。」

アイゼンハワーの時代。
--赤狩りなど、恐怖が人を支配した時代ですね。

テラーはゴフマンを誹謗中傷した。下「」引用。

「原爆による運河採削で生じる放射能によって生物が受けるかもしれない障害を生物学的に探求することは、かりにゴフマンやその同僚が自分自身でおもしろがるために行なうのであればまったく正当なことである。が、そのような危険性の問題はいっさいない。」そしてさらに次のようにも言った。「ゴフマンは私に、昔の鉄道機関車の導入のことを思い出させた。心配症の人々は、誰かが馬に乗って警告という赤い旗を振りながら機関車の前を進んでいくように望んだものだ。ゴフマンは、この原子力時代に、馬に乗って赤い旗を振る男のようだ」。」

マッド博士といわれた映画のモデルでもあるというテラー。下「」引用。

「低線量あるいは中程度の放射線量に関するかぎり深刻な障害はない、というテラー教授の見解は世界中によく知られている。」

改善できたが、利益が優先された。下「」引用。

「一九六五年に出されたワゴナー報告は、ラドン娘核種からの被曝が、坑夫たちの間に観察さる肺ガンという流行病の原因であると指摘している。-略-もし人間の命を救うために金が費やされると、それだけウラン採掘による利益が減ることになる。」

核兵器使用は正当化できない、「核兵器使用についての大衆的討論はない」という。

人道を失う答えをだしたら、もはや民主主義ではないだろう。
--そして、良識などもないとボクも思う。

公衆よりもミサイルを守るための出費。下「」引用。

「われわれ自身が置かれているばかばかしい状況を考えてみよう。数十億ドルを費やして、大規模な市民防衛活動により人間を保護しつつ核戦争を戦おうというペンタゴンの計画は認められなかった。しかし、ペンタゴンのメンバーはきわめて策略に富んでいて、周知のように現在は、彼らのミサイルの一群を保護するために数十億ドルも費やす計画をちゃんと実行に移しているのである。」

日本でも、日本国民を守るものではなく、華麗なる防衛族を守るためのものであるようだ。

“中立は無責任”と書かれている。下「」引用。

「以上のことが科学技術信仰の持つ力学である。そうしてこの信仰はあくまでも真理にぴったりくっついた客観性を自讃し、人間の事柄に対しては倫理的な中立性を主張する。この信仰に国境はなく、科学の法則はあらゆる国々の人々に開かれている。そしてそれゆえに人々は自分自身に対しても他人に対しても責任ある行動をとらずにすむことができる。これこそが、先に述べた運動ががむしゃらに進展しうるための駆動力となるもので、一方で「文明」を維持し発展させるというそれ自身の役割について語りつつ、他方ではどのような疑問を出すことも許されないで進むのである。」

人道に中立などないとボクも思います。








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