『広島原爆記-未来への遺書-』
稲富栄次郎・著/講談社1973年
昭和24年刊の改版
--著者は広島文理大学教授。
付:原爆当時の広島市地図(1枚)。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/e8/4fe3db73a97067511bffd04ed9436b21.jpg)
広島原爆の爆発の瞬間も個性的に書かれてあります。下「」引用。
「すると正にその瞬間である。私の両眼はぱっと、一閃(いっせん)、強烈な光りに見舞われた。それは空全体が可燃性のガス体に充(みた)されていて、そのガス体が、一時に焔上(えんじょう)したような、赤いピンクの光であった。同時に窓外は、濛々(もうもう)たる白煙に掩(おお)われ、しゅうしゅうとはげしい音でスチームの吹き出すような音に共に、ちょうど巨大なマグネシュウムを焚くような光が、ぴかぴかとあたり一面にみなぎったのである。」
人によっては、七色の虹のようにだとか、紫色だとか、いろいろあるものですね……。
練兵たちの表現……。下「」引用。
「すると、朝の練兵を始めたばかりたったらしい、何千とも知れぬ兵士が、将棋倒しにたおれている。みんな油煙でいぶしたように黒焦げになり、窪んだ所に重なり合って、「うおう」、「うおう」と唸っている。まるで数知れぬ梅毛虫(うめけむし)のかたまりが、火炎にあおられて、瀕死のあがきを続けているような有様だった。顔はみな普通の人の二、三倍の大きさに腫れ上がり、唇はことごとく反転している。目のつぶれたもの、飛び出したもの、全身の皮がつるりと剥けて、腰のあたりに垂れ下がったもの等々、とても恐ろしくて眼も当てられない。従子さんがモンペ服に防空頭巾を被って通りかかると、一斉に、
「姉ちゃん、助けて。」
「おじさん、水を頂戴。」
「おばさん、助けて。」
などと叫ぶ。」
この著者だけではないが「顔はみな普通の人の二、三倍の大きさ」と書かれてある。二、三倍にもなるのだろうか? そういう感じという心情的なものなのだろうか? その時の直下の惨劇の写真は残っていないと書く人もいる……。
永井隆博士も『パスカル』を読んでおり、生きていく時に大切にされていましたね。下「」引用。
「最後に一階にある自分の研究室にはいって行った。私が死守を決意していた思い出の室ではあるが、今はもうただ一塊(いっかい)の灰にすぎなかった。本立に飾ってある豪華なパスカルの全集も、一握の灰である。一昨日の午後まで、警報と警報との合間を、貪るようにここで読み耽っていただけに、全く感慨無量である。か弱い、だが考える葦としての人間の本質を、とことんまで見つめていったパスカル。底知れぬ神の世界に、力強く思索の糸を垂らしたパンセ。併し、ああ、今はもう一握の死灰である。」
『パンセ』パスカル著
そして、キリスト教の『神学の父』といわれる聖アウグスチヌスのことも書いている。下「」引用。
「神と人間とが、等しく市民であるような神の国、真理が王であり愛が法であって、しかも永遠に存在するような神の国。」
こうしたアウグスチヌスの神の国が、そのまま地上に実現され得ないにしても、地上の国家の彼方に、何かしらこうした永遠の世界を志向しながら生きて行きたいものだ。」
あのような時にも、恨みや憎しみなどというもの前面に出さず、生きておられた人もやはりおられるようだ……。
しかし、そんな人ほど、もっと深遠な知恵をもっておられたようでもある……。
--24年刊の作品。
世紀の閃光
上の本はネットで全文掲載《ワード》でされてもいます。どういうわけか、リンクできませんが……。【2008年10月21日現在】
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稲富栄次郎・著/講談社1973年
昭和24年刊の改版
--著者は広島文理大学教授。
付:原爆当時の広島市地図(1枚)。
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広島原爆の爆発の瞬間も個性的に書かれてあります。下「」引用。
「すると正にその瞬間である。私の両眼はぱっと、一閃(いっせん)、強烈な光りに見舞われた。それは空全体が可燃性のガス体に充(みた)されていて、そのガス体が、一時に焔上(えんじょう)したような、赤いピンクの光であった。同時に窓外は、濛々(もうもう)たる白煙に掩(おお)われ、しゅうしゅうとはげしい音でスチームの吹き出すような音に共に、ちょうど巨大なマグネシュウムを焚くような光が、ぴかぴかとあたり一面にみなぎったのである。」
人によっては、七色の虹のようにだとか、紫色だとか、いろいろあるものですね……。
練兵たちの表現……。下「」引用。
「すると、朝の練兵を始めたばかりたったらしい、何千とも知れぬ兵士が、将棋倒しにたおれている。みんな油煙でいぶしたように黒焦げになり、窪んだ所に重なり合って、「うおう」、「うおう」と唸っている。まるで数知れぬ梅毛虫(うめけむし)のかたまりが、火炎にあおられて、瀕死のあがきを続けているような有様だった。顔はみな普通の人の二、三倍の大きさに腫れ上がり、唇はことごとく反転している。目のつぶれたもの、飛び出したもの、全身の皮がつるりと剥けて、腰のあたりに垂れ下がったもの等々、とても恐ろしくて眼も当てられない。従子さんがモンペ服に防空頭巾を被って通りかかると、一斉に、
「姉ちゃん、助けて。」
「おじさん、水を頂戴。」
「おばさん、助けて。」
などと叫ぶ。」
この著者だけではないが「顔はみな普通の人の二、三倍の大きさ」と書かれてある。二、三倍にもなるのだろうか? そういう感じという心情的なものなのだろうか? その時の直下の惨劇の写真は残っていないと書く人もいる……。
永井隆博士も『パスカル』を読んでおり、生きていく時に大切にされていましたね。下「」引用。
「最後に一階にある自分の研究室にはいって行った。私が死守を決意していた思い出の室ではあるが、今はもうただ一塊(いっかい)の灰にすぎなかった。本立に飾ってある豪華なパスカルの全集も、一握の灰である。一昨日の午後まで、警報と警報との合間を、貪るようにここで読み耽っていただけに、全く感慨無量である。か弱い、だが考える葦としての人間の本質を、とことんまで見つめていったパスカル。底知れぬ神の世界に、力強く思索の糸を垂らしたパンセ。併し、ああ、今はもう一握の死灰である。」
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そして、キリスト教の『神学の父』といわれる聖アウグスチヌスのことも書いている。下「」引用。
「神と人間とが、等しく市民であるような神の国、真理が王であり愛が法であって、しかも永遠に存在するような神の国。」
こうしたアウグスチヌスの神の国が、そのまま地上に実現され得ないにしても、地上の国家の彼方に、何かしらこうした永遠の世界を志向しながら生きて行きたいものだ。」
あのような時にも、恨みや憎しみなどというもの前面に出さず、生きておられた人もやはりおられるようだ……。
しかし、そんな人ほど、もっと深遠な知恵をもっておられたようでもある……。
--24年刊の作品。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/45/5080f45f6cb73d3b995c69dbc836539f.jpg)
上の本はネットで全文掲載《ワード》でされてもいます。どういうわけか、リンクできませんが……。【2008年10月21日現在】
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