磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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シリーズ・戦争の証言13 神と愛と戦争-あるキリスト者の戦中日記-

2009年05月06日 | 読書日記など
『シリーズ・戦争の証言13 神と愛と戦争-あるキリスト者の戦中日記-』
   森下二郎・著/西尾実、清水義穂・編/
     太平出版社1974年、1989年7刷

日記とタイトルがあるが、そのとおりである。
淡々と書かれてある。キリスト者という感じはあまりしなかった……。
それより、文学好きという感じがした。



「森下二郎の人と思想--まえがきにかえて」 下「」引用。

「森下二郎は、南信州駒ヶ岳山麓の上片桐に生れた。かれは飯田中学校を卒業すると、東京高等師範学校に入学し、そのころすぐれた詩集を世にしめしはじめた上田敏にひかれ、当時、世界の文壇をにぎわしていたロシアの作家たちに親しんでいた。卒業のころは、同期の玉井幸助、加藤因、寺田喜知郎とともに、ツルゲーネフの『猟人日記』を英訳書から重訳して出版した。
 一九○九(明治四二)年、卒業と同時に飯田尋常高等小学校訓導となり、男子部高等科一年を担任して、全校生徒の信望を一身に集めていた。-略-
 その後、森下二郎は父の死後に家督相続のために同校をやめ、郷里の家に帰り、自宅から一里ほどの天竜川ぞいの学校に転任した。かれはこの機会に、まえから望んでいた農業労働に従事しようとして、毎朝薪割りを始め、手のひらのマメをつくって、それをつぶして、手のひらをか固くすることにした、といって喜んでいた。-略-その後、世を去るまでの二四年間、かれは一農耕作人に没頭した。
 森下二郎は、青年時代に抱いたいろいろな夢を、境遇はどう変わっても、どんな形にしても、一生それを貫いた-略-」

トルストイの言葉……。下「」引用。

「森下二郎が、「革命はただひとつ、自己改革である」ということがトルストイののこした真理だ、としきりにいうようになった」

アラブ人による奴隷売買もあったという。下「」引用。

「それによると(ダンバーという人の計算では)アメリカへヨーロッパ人による輸出が一六世紀九○万、一七世紀二七五万、一八世紀七○○万、一九世紀四○○万、全部合算一五○○万人に達する。しかもこの輸出はアメリカ以外にも行われたものであり、ヨーロッパ人以外アラブ人による奴隷売買もあること故、これらを考慮に入れるならばアフリカから奪い取った奴隷の数は数千万人、一億に達すると言っても過大ではあるまいと言っている。
 なお考えねばならぬことは、アフリカの奥地で奴隷売買の実況に接して発見した如く、いよいよ海外に輸出されるまでにはその一○倍位の人数が生命を失っているのであるとすれば、実に数億の人間が悲惨なる運命に投ぜられたものと見なければならないというのである。
 これが事実とすれば実に驚くべき事柄である。奴隷売買の悲惨なこと無道なことはもとより考えていたけれども、まさかかる大数に上ろうとは思ってもみなかった事である。」

奴隷売買と『リビングストーン伝』。下「」引用。

「黒田四郎という人のかいた『リビングストーン伝』を昨日で読み了った。-略-はっきりとわかった事はは、奴隷売買ということの実際の状況とそれに対するリビングストーンの態度とである。奴隷売買の根本的一掃。奴隷禁止、奴隷解放。リビングストーンの探検の根本的動機はこの所にある。
 もう一つわかったことは、リ氏大探検の費用の大部分はヨーロッパ人から出ているのでなくして、黒人そのものから捧げられたということである。リビングストーンは黒人に支えられて、かの偉業を成しとげたのであるということは、驚くべきであると同時に喜ぶべく、敬すべく、慕うべきこである。」

フィンランド……。下「」引用。

「それからこれはフィンランドのところにあったかと思うが、鹿の舎飼をしているところは心を魅いた。
 それからこれもフィンランドのところで家畜により集まって来る蚊を防ぐために蚊いぶしをしている写真を見た。」

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ヘレン・ケラーの宗教。下「」引用。

「今ヘレン・ケラーの『私の宗教」を読んでいる。
 ケラーの宗教はスヰーデンボルグの宗教である。スヰーデンボルグの宗教は自分も前から読んだり、考えたりしていたところである。今ケラーの信仰としてスヰーデンボルグを聞いて新しいよろこびを覚える。」








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