磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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ぼくは戦争をみた-マンガ少年の日中戦争体験-

2010年01月19日 | 読書日記など
『ぼくは戦争をみた-マンガ少年の日中戦争体験- ポプラ・ノンフィクション5』
    横山孝雄・著/ポプラ社1981年

「はじめに」で書かれてあります。下「」引用。

「ここ三、四年、新聞で中国におきざりされた日本人孤児はのことが、ひんぱんに記事にされている。孤児といっても、いまは、三十代、四十代の人たちだが……。
 彼らは、戦争のためにそんな不幸にあった人たちで、おきざりにされてから三十五年以上もたっている。日本語もすっかりわすれてしまっているが、日本の国に、せつないほどのあこがれをもちつづけている。ぼくは昭和二十一年、日本が戦争に負けたために、つらくて不安な旅をしながら、家族ぐるみで中国からもどつてきた体験がある。-略-」



この本はマンガもありますが、文章が多い本です。

日本兵が3人、中国人をおって、ピストルをうつのを見たという……。

名月を祝う、中国の月餅は日本の月餅とは異なるようだ。下「」引用。

「月を愛して、中秋の名月を祝うのは、ほんらいは、中国が元祖なのだ。-略-いろいな木の実と、果物をほしたものを、こまかくきざんで、つぶしたアンにまぜて、ゴマ油でいためたのが中にはいっているまんじゅうだ。
 日本で年中売られていて、いつでも食べられる月餅があるが、あれとはくらべものにならない、味のちがいがあった。」

報道はなかったという……。下「」引用。

「中国で、日本軍に抵抗していたひとたちにとっては、日本軍の輸送を妨害するのに、もってこいのところだった。戦争のさなか、航送船にのせられてた、貨物列車が船中のレールのとめ金を、ゲリラの手によってはずされてしまったことがあるという。
 そのために、河のまんなかの、はげしいながれのため、船がゆれたとき、十五両ほどの貨車が、レールをはしりだし、そのまま濁流のなかにつっこんでいって、きえてしまった事件があったと、人びとウワサがでたことがあった。
 おそろしいことに、激流にのみこまれていった貨車のなかには、七百人をこえる、日本軍の兵士たちが、とじこめられるようにして、のっていたというのだ。
 この、ゾッとして胸の中がさむくなるような事件は、日本軍によって、秘密にされたまま、いまだにあきらかにされていないという。
 この事件は、ぼくらが浦口(プーコウ)をはなれたのちに、おこったらしいが、そんな事件がおこるほど、浦口は、中国にとっても、日本にとっても、それぞれ、自分の支配しておきたい、町だったのだ。」

もうけをしぼりとったいたアメリカ、イギリス。下「」引用。

「アメリカもイギリスも、戦争などやらないで、うまく、中国からもうけをしぼりとろうとしていたのだが、日本に勝手にひっかきまわされて、ひじょうにおもしろくなかったらしい。さかんに自分たちの正義の味方だと宣伝しはじめた。そしてそれまで日本にわけていた石油などの、工業資源をおくるのを、やめてしまったのだ。」

タナ上げ正義……。下「」引用。

「アメリカなどは、中国をたすけることが正義であると、自分たちが中国でうまいことをやろうとしていたことなどタナにあげて、世界中のほとんどの国を仲間にしてしまった。-略-」

傲慢……。下「」引用。

「日本人は、自分が軍隊などのつよいたちばになると、相手の気持ちなどわかろうとしない、ごうまんなところがあった。それまでの白人以上に、現地の人びとの心まで、傷つけてしまった。」

アメリカ製が使われていた。下「」引用。

「あれはそのころ中国でさかんに使われていたアメリカ製戦闘爆撃機のカーチスP-40に、ちがいなかった。」

「警察のごうもんをみてしまった」 下「」引用。

「彼らは警察官は、ぼくの父をふくめて、自分たちがやっていることは、日本のため、正義のため、そんなことをしても、とうぜんだと信じていたのだろう。目的のためには手段はえらばないで、平気でやっていたのに、ちがいない。」

収容所で牧師に勉強を習ったという……。







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