磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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ポツダム会談-日本の運命を決めた17日間- Meeting at Potsdam

2008年10月20日 | 読書日記など
『ポツダム会談-日本の運命を決めた17日間- Meeting at Potsdam』
   チャールズ・ミー(著)/大前正臣(訳)/徳間書店1975年

なぜ、原爆は投下されたか?
--それはソ連を恫喝するため!
ということがテーマの本のようです。



奴隷制度があったアメリカ。
--奴隷制度が終わっても、政治力によって差別を続ける手法をもっていたアメリカ。

それに比べて、単純な英ソの首脳……。
--この二人は軍服に身を堅め!
トルーマンはスーツ。
--トルーマンの戦略は世界支配を成し遂げた……。
そして、アメリカのきれいごとに騙された世界!

その一つに『原爆神話』がある。
こんなことができたら、後は簡単だろう!

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やはり、アメリカは対日戦争はすぐに終らせたくはなかった……。下「」引用。

「ミー氏はちょうど本書を書き終えたばかりだった。私も、アメリカが終戦当時、天皇制をどうしようとしていたかの問題に興味を持っていたので、話題は必然的にアメリカの“日本処分”政策に移った。すると突然、彼はいいにくそうに漏らした。
「あなたたち日本人には残酷な話だが、トルーマンは日本との戦争を早く終らせたくはなかったのだと思うよ」
「なぜ?」
「原子爆弾を落とすまではね」
「……」」

三人の会談……。下「」引用。

「三人は会談の裏と表で、議論し、主張し、空威張りし、相手を脅し、欺し、泣き落としにかけ、ヤキモチを焼き、愚痴をこぼし、不平を鳴らし、ジョークを飛ばし、とぼけ、笑い、怒り、ありったけの感情をあらわにしながら取引の秘術をつくす。「残虐」なスターリンが会議では意外にソフトで、頭はまことに緻密である。歯にキヌをきせぬことで人気のあるトルーマンがそれを売り物にして、けっこう自分のよいウソをつく。年老いたチャーチルは新興の米ソ首脳を手玉にとろうとするが、イギリスの国力がもはやそれについてゆかない。」

ポツダムとは、クラウゼヴィッツに関する地だったという。
スターリンもレーニンもクラウゼヴィッツ人……。下「」引用。

「スターリンは一九三三年、クラウゼヴィッツに関するレーニンのノートをソ連政府に出版させた。彼にとってポツダムは、プロイセン軍国主義の始まりと、ドイツ軍事力の終焉を記念すべき地であった。それとともに権力のための平和と戦争の継続闘争を記念すべき地でもあった。彼しか知らなかったが、ポツダムは三巨頭の秘めた魂胆にぴったりの舞台だった。」

グローブズ少将は新聞声明を発表していたという。下「」引用。

「[アラモゴルド 七月十六日。
 アラモゴルド陸軍航空隊基地の司令官は今日、次の声明を発表した。
 アラモゴルド基地の隔離基地で今朝起きた大爆発について、数件の問い合せがあったが、これは高性能の爆発物の相当量を貯蔵していた遠隔の地の火薬庫が爆発したものである。爆風によって爆発したガス弾が気象条件に影響されるため、陸軍当局は少数の民間人を自宅から疎開させることが望ましくなるかもしれない]
 デラウェア州ウィルミントン、デュポン社のR・M・エバンズ博士はこの新聞発表を読み、原爆実験の成功を知った。高性能爆薬と化学薬品が一つの火薬庫に貯蔵されることは絶対にない。」

学者たちの抗議運動は遅かった……。下「」引用。

「八月一日(水曜)
 ワシントンではグローブズ少将がスチムソン陸軍長官の原爆担当補佐官ジョージ・ハリソンに一つの書類箱を渡した。それにはシカゴ大学の金属学プロジェクト・チームからの陳情書、アンケート調査、報告が入っていた。
 シカゴ大学の物理学者、レオ・シラードは原爆について道徳的に悩んでいた。バーンズ国務長官は原爆について、ヨーロッパでソ連をもっとおとなしくさせるための“最後の審判の日”の仕掛だと語ったが、シラードもそれをきいた一人だった。時間がたつにつれ、原爆を使ってはいけないというシラードの良心の痛みは耐えきれないほどになった。七月初め、彼はついに勇気を奮い起こし、原爆計画に参加した科学者仲間の抗議運動を組織しはじめた。もちろんこの時点ではもはや手遅れだった。-略-」







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