『新編日本のフェミニズム 10 女性史・ジェンダー史』
天野正子、他・編/岩波書店2009年
「増補新版の編集にあたって」初版は1994年。下「」引用。
「このまったく新しい状況に対して、わたしたちは新たな編者を迎え、「日本のフェミニズム」増補新版の刊行を決意しました。-略-」
小林よしのりと、秦郁彦。下「」引用。
「吉見義明が発見した軍関与を示す史料の意義は大きい。しかし否定派の歴史家秦郁彦は「あんな史料はとっくに知っていた」と憮然として言ったものだ。問題意識を持たない秦には、貴重な史料も紙くず同然。さらに同じ否定派の小林よしのりは、その史料を強制連行否定の証拠にした。軍の関与は「いい関与」だというのだ。同じ史料でも、みるものによって行く通りもの顔をみせるということだ。
しかしいちばんの問題は、彼らの「慰安婦」証言否定は女性史否定でもあるということだ。-略-」
index
年齢……。下「」引用。
「女性たちの聞き取りをしていて最初から行き詰まってしまうのは、歳を聞いてもすぐわからないことです。私たちが納得できずにうなずかなかったりすると、次にまた違う年齢を言ったりする。そのつどそれが活字になったりすると、秦郁彦氏のような研究者が慰安婦の身の上話はいいかげんだ、生まれた歳もしょっちゅう変わる、とか書きますね。彼女たちはカレンダーを見て暮らしているわけではないし、子供がる歳になったら祝いがあるとか学校に行くとかするわけでもない。自分の誕生日は旧暦何月何日かはよく覚えていますが年齢はわからない。私たちは結局干支で確認することにしました。被害の年も、何の事件の前か後かと聞いても知らないと言われます。有名な八路軍が日本軍に大損害を与えた一九四○年の百団大戦との関係で聞くと男性はわかりますが女性は知りません。食べ物や着ていたものの記憶などで被害の季節はわかりますが、年を確定するのはなかなか大変です。」
男たちの「記憶の共同体」……。下「」引用。
「それに対して村の男たちはどうかというと、男性の村人から聞きとりすると実に効率がよくて当時を知るみんながおおよそ同じようなことを話してくれますから、特に筋立てて話せる人の証言を得ると、とても「客観性がある」と安心できて、「ん、これなら論文に使える」とか思うんですね。その村に日本軍が入ってきたときの部隊の様子や隊長の人相・人柄・名前やあだ名、被害について村の歴史物語がすでにできているみたいで、そこには村人たちの「記憶の共同体」があると思える。-略-私よりずっと若い人でも見ていたように語れます。高齢の女性たちは自らの体験しか語らない。女性たちはその時からそこに住んでいるのですが、男性の村人が構成する「記憶の共同体」にら直接には属しておらず、家族の中で家父長のもに保護され抑圧されている。しかも、これらの村は生き延びるために日本軍に協力もさせられたし、「女性の提供」もさせられているわけですね。-略-」
言うはずがない「共同体」。下「」引用。
「私たちに語っても、それを私たちが家族の誰かが働きに出ているような孟県県城とか陽泉市とか太原市で集会や記者会見をやって、この村のこういう女性がこういう性暴力被害を受けたなどと言ってしまうはずがない。-略-結局は彼女たちの生きる「共同体」の内部に意識変革が起こり、現地に強い支持者ができなければ、この関係は変わらないのです。」
差別は戦後も続く……。下「」引用。
「妻や娘を護りきれなかった悲しみと恥を背負った家族、それに同情したり差別したりしつつこの被害に触れることをやめて沈黙した村、民族の屈辱に激しい怒りを覚えつつ被害の個別性と侵害された女性個人の尊厳の問題にかかわりきれなかった国家、性暴力に罪悪感を持たず、一貫して事実関係すら認めようとしない日本軍兵士・軍首脳・日本政府。被害が発生した時から彼女たちを沈黙させた構造が彼女たちの上にのしかかっています。血眼で文献資料を探しても、何も記録・記述されていないのはそのためです。-略-」
私の戦争犯罪-朝鮮人強制連行-
「サイパン帰りのたま子さん」川田文子・著。
警察から指名。下「」引用。
「警察から指名されて慰安所に行くことになったたま子らは、あたかも兵士が出征する時のように同業者らに万歳三唱で見送られた。船には約五○人もの女が乗っていた。テニアンだけでなくサイパンの各楼からも集められたのだ。」
「「帰俗」政策のなかのアイヌ女性」海保洋子・著。
国防婦人会の愛国婦人会の対立。
「満州における日本人女性の経験--犠牲者性の構築」古久保さくら・著。
「赤線従業員組合と売春防止法」藤目ゆき・著。
もくじ
もくじ
目次
天野正子、他・編/岩波書店2009年
「増補新版の編集にあたって」初版は1994年。下「」引用。
「このまったく新しい状況に対して、わたしたちは新たな編者を迎え、「日本のフェミニズム」増補新版の刊行を決意しました。-略-」
小林よしのりと、秦郁彦。下「」引用。
「吉見義明が発見した軍関与を示す史料の意義は大きい。しかし否定派の歴史家秦郁彦は「あんな史料はとっくに知っていた」と憮然として言ったものだ。問題意識を持たない秦には、貴重な史料も紙くず同然。さらに同じ否定派の小林よしのりは、その史料を強制連行否定の証拠にした。軍の関与は「いい関与」だというのだ。同じ史料でも、みるものによって行く通りもの顔をみせるということだ。
しかしいちばんの問題は、彼らの「慰安婦」証言否定は女性史否定でもあるということだ。-略-」
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年齢……。下「」引用。
「女性たちの聞き取りをしていて最初から行き詰まってしまうのは、歳を聞いてもすぐわからないことです。私たちが納得できずにうなずかなかったりすると、次にまた違う年齢を言ったりする。そのつどそれが活字になったりすると、秦郁彦氏のような研究者が慰安婦の身の上話はいいかげんだ、生まれた歳もしょっちゅう変わる、とか書きますね。彼女たちはカレンダーを見て暮らしているわけではないし、子供がる歳になったら祝いがあるとか学校に行くとかするわけでもない。自分の誕生日は旧暦何月何日かはよく覚えていますが年齢はわからない。私たちは結局干支で確認することにしました。被害の年も、何の事件の前か後かと聞いても知らないと言われます。有名な八路軍が日本軍に大損害を与えた一九四○年の百団大戦との関係で聞くと男性はわかりますが女性は知りません。食べ物や着ていたものの記憶などで被害の季節はわかりますが、年を確定するのはなかなか大変です。」
男たちの「記憶の共同体」……。下「」引用。
「それに対して村の男たちはどうかというと、男性の村人から聞きとりすると実に効率がよくて当時を知るみんながおおよそ同じようなことを話してくれますから、特に筋立てて話せる人の証言を得ると、とても「客観性がある」と安心できて、「ん、これなら論文に使える」とか思うんですね。その村に日本軍が入ってきたときの部隊の様子や隊長の人相・人柄・名前やあだ名、被害について村の歴史物語がすでにできているみたいで、そこには村人たちの「記憶の共同体」があると思える。-略-私よりずっと若い人でも見ていたように語れます。高齢の女性たちは自らの体験しか語らない。女性たちはその時からそこに住んでいるのですが、男性の村人が構成する「記憶の共同体」にら直接には属しておらず、家族の中で家父長のもに保護され抑圧されている。しかも、これらの村は生き延びるために日本軍に協力もさせられたし、「女性の提供」もさせられているわけですね。-略-」
言うはずがない「共同体」。下「」引用。
「私たちに語っても、それを私たちが家族の誰かが働きに出ているような孟県県城とか陽泉市とか太原市で集会や記者会見をやって、この村のこういう女性がこういう性暴力被害を受けたなどと言ってしまうはずがない。-略-結局は彼女たちの生きる「共同体」の内部に意識変革が起こり、現地に強い支持者ができなければ、この関係は変わらないのです。」
差別は戦後も続く……。下「」引用。
「妻や娘を護りきれなかった悲しみと恥を背負った家族、それに同情したり差別したりしつつこの被害に触れることをやめて沈黙した村、民族の屈辱に激しい怒りを覚えつつ被害の個別性と侵害された女性個人の尊厳の問題にかかわりきれなかった国家、性暴力に罪悪感を持たず、一貫して事実関係すら認めようとしない日本軍兵士・軍首脳・日本政府。被害が発生した時から彼女たちを沈黙させた構造が彼女たちの上にのしかかっています。血眼で文献資料を探しても、何も記録・記述されていないのはそのためです。-略-」
私の戦争犯罪-朝鮮人強制連行-
「サイパン帰りのたま子さん」川田文子・著。
警察から指名。下「」引用。
「警察から指名されて慰安所に行くことになったたま子らは、あたかも兵士が出征する時のように同業者らに万歳三唱で見送られた。船には約五○人もの女が乗っていた。テニアンだけでなくサイパンの各楼からも集められたのだ。」
「「帰俗」政策のなかのアイヌ女性」海保洋子・著。
国防婦人会の愛国婦人会の対立。
「満州における日本人女性の経験--犠牲者性の構築」古久保さくら・著。
「赤線従業員組合と売春防止法」藤目ゆき・著。
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