磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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生死の火-広島大学原爆被災誌-

2008年07月18日 | 読書日記など
『生死の火-広島大学原爆被災誌-』
   広島大学原爆死歿者慰霊行事委員会・編/
     広島大学原爆死歿者慰霊行事委員会1975年

広島文理大学と原爆投下時にはいわれていたと思います。



■目次・主なものだけ■
巻頭写真  iii
まえがき  xiii
被災の概況  1
死没者名簿 凡例  18
手記  76
メッセージ  357
広島大学原爆死没者追悼式記録  373
参考資料  381
人名索引  392
あとがき  393


当時、PTSDという言葉はなかったでしょうが、それは現実には存在しただろうと思います。下「」引用。

「Aさん(四八)はこの三十年、ほとんど街に出たことがない。郡部の片田舎でくる日もくる日も農耕一筋に黙々と生きてきた。-略-ええ、あれから広島へは一度も行っとりません。怖いんですよ。「日赤の前」がいまだに思い浮かびましてね。-略-」

長田新のことも書かれてありました。下「」引用。

「原爆後の文理大の再建につくした長田学長の功績は忘れられないことでした。」


「被爆時の外国人留学生」についても書かれてありました。下「」引用。

「広島文理科大学および広島高等師範学校には中国(旧満州国をも含む)、モンゴリア、東南アジア各地からの留学生多数が存在していて被爆した。」

「サイド・オマール・ビン・モハメッド・アルサゴフ」さんのことも書かれてありました。

[南方留学生・俘虜]
日本の原爆記録13

[南方留学生]
原爆児童文学集17. マレーシアの語り人

わが心のヒロシマ-マラヤから来た南方特別留学生-

オマールさんを訪ねる旅 広島にいたマレーシアの王子様


南方の留学生の授業を担当していたのは正木教授……。


昔のはしごは丈夫?










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