磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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原爆文学研究3

2008年11月12日 | 読書日記など
『原爆文学研究3』
   原爆文学研究会/花書院2004年

それにしても、九州大学の方なら、平和をつくりたいなら、遠藤周作がかいた『海と毒薬』系統のことを指摘された方が平和に役立つような気がするのですが……。まるで、ナチスのメンゲレのような医師がこの日本にいたのです。

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どうも批判というのも人を育てるためではなく、潰すために書かれているような気がしてなりません。

悪いところを指摘されてもムシ! 指摘された人を恨み潰そうとする……。

悪い点は改めようよ! そうボクは幼稚に叫びたい!

小林よしのりの文章を引用。原爆自体は、アメリカへの憎悪をつよめるためにも用いることができ、戦意高揚にも使用可能であると思いました。

ほかの本ですが、ソ連などに平和運動に行かれた方たちが、反米のキャンペーンとして活用されことが書かれた本があったことを思い出しました。反米のキャンペーンとして戦意高揚に使用されても、それは平和運動などとはいえないとボクは思う。

山田かん、高橋眞司、長野秀樹、花田俊典らが、永井隆批判したというが、彼らが非難されていたことは書かれていません。

そして、山田かんや、井上光晴のことは讃美のみで批判しません。

「摂理」という言葉も永井博士が発明したのではなく、以前からあるもので、カトリック教徒だけのものでもないようですが、彼らはそんなことは考えてはおられません……。

坂口安吾を用いて、永井隆批判。下「」引用。

「 坂口安吾の言説と永井隆の言説は、〈潰えられた可能性〉を軸にして、対称な位置にあるように思われる。そして両者の言説は競い合う関係にあって、前者は後者に対して衝迫力を持つ。なぜならば、前者は無垢に生きようとする者たち(自らを単に被害者として同定する者たち、あるいは、〈被害-加害〉の関係からは無関係であるかのように振る舞う者たち)を殺しつつ、その悲しみを回収しようとする装置だからである。しかし坂口安吾は、その衝迫力を、後者にナマのままぶつけることはしなかった。」


永井と坂口安吾は対称的というが、永井隆自身がチャンポンの人であるし、永井隆と坂口安吾は不思議と似ている面が多い。どちらも、その命に危険があっても、他者を思いやる心がある。ただ、永井隆には筋が通っているが……。悩み多き文豪には、その点もよく視界がぼやけたと思う。

坂口安吾の堕落論を間違って捉えている人が多いと新聞評があったが、どうもこの方もそのような気がする。


その人たちから見れば、私の方がそうかもしれませんが……。
--安吾はきれいごとをいって、行動をともなわない、きれいごとをいって、影では悪いことをしている人たちの堕落を指摘したのだとボクは思っています。

堕落しているなら、堕落したところから、やっていこうというものであるとボクはとらえています。

きれいごとを並べて自らを正当化するような愚かな人たちが堕落しているというのだ!

永井隆博士自身がきれいごとを並べているとは思えない。むしろ、反省しすぎる人だと思う……。

そして、坂口安吾がきらうのは、共産主義&軍国主義……。
安吾関連ニュース
↑記事の後半に書かれてあります。


ボクは「孤児収容所……ああ、わたしは寒気がしてきた。あんなところへこの子が入れられたら……」と永井隆博士の発言こそ、問題にすべきだったと思う。

永井はここでも、感情のままに……。
永井隆すぐれた詩をのこした詩人でもあったが……。

原爆孤児、孤老、……。
共産主義者たちは、そんな人たちに彼らは何をしたのだろう……。

--それも知りたいものです。

永井隆はゼノ修道士の慈善活動を手伝い、そして祈った……。

反省して、良い働きをしたいものだ。
何もできていない感じのボクはそう思う……。







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