『阿片帝国・日本』
倉橋正直・著/共栄書房2008年
帯に書かれてあります。下「」引用。
「帝国 阿片を用いた中国侵略
日本は世界第一の麻薬生産・密諭国!
戦前の日本の知られざる衝撃の歴史的事実を追う!!」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/34/aeed4379dc73c3964a91f2a33046b8fd.jpg)
表紙の裏に書かれてあります。下「」引用。
「戦前の日本の知られざる衝撃の事実!
今日、薬物汚染が世界的に問題になっている。日本もまた例外ではなく、すでにその害は軽視できない段階に至っているが、日本国民の多くは、日本が薬物汚染問題では被害者の立場にあるとだけ考えている。たしかに、現在、あるいは戦後の時期に限定すれば、日本は被害者である。しかし、戦前まで視野に入れれば、当時、日本は恐るべき加害者であった。すなわち、日本は世界一の麻薬生産国であって、阿片・モルヒネ・ヘロインなどの毒物を大量に、かつ長期間にわたって中国や朝鮮をはじめとするアジア諸国に密輸した。その結果、アジア諸国民は、はかりしれない害毒を被った。しかし、戦後の日本は、そういった恥ずべき行為を真摯に反省するどころか、ひたすら隠蔽し続けてきたのだ。」
二種類の人間が満州にまず入りこんだ……。下「」引用。
「中国側の抵抗で、当時、満州と呼んでいた中国東北地方に、日本人はなかなか入れなかった。しかし、その中で例外的に二種類の日本人、すなわち、「売春婦」と「モルヒネの密売人」が、かなり多数、入り込んでいた。この現象を見つけたので、この二種類の日本人のことを調べ始めた。研究を進める中で、前者は北方系からゆきさんの研究、後者は日本の阿片政策に発展していった。」
福沢諭吉がすすめたものですね……。
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二反長音蔵のことが書かれてあった。
「ケシ栽培普及王」 下「」引用。
「彼は、敗戦でケシ栽培が禁止されるまで、一貫してケシ栽培の普及に命をかけた。「阿片王」のあだ名があったが、しかし、実際は「ケシ栽培普及王」であった。」
大阪府の地場産業・ケシ栽培。下「」引用。
「当初、二反長音蔵の影響で、大阪府がケシ栽培では圧倒的な成績をおさめていたが、その後、和歌山県が伸張し、第一位の地位を奪う。一九二八年、第一位の和歌山県と第二位の大阪府だけで九八%を占めた。ケシ栽培は、この二府県に集中し、他の府県はほとんど栽培しなかった。最盛期は一九三七年で、全国で約一万二○○○戸の農家がケシを植えた。」
モルヒネの国産化、星製薬。下「」引用。
「星一が社長であった星製薬は、最初にモルヒネ生産に成功したことで、大きな発展をする。しかしその後、政争に巻き込まれて、倒産してしまう。星薬科大学だけがその名残りである。「ショートショート」の小説家・星新一は息子である。」
ヘロイン一位日本。下「」引用。
「日本のモルヒネの生産額は世界第四位、ヘロインは第一位(全世界生産額の四割弱を占めた)、コカインも第一位(同三割弱を占めた)であった(日本は一九三三年に国際連盟から脱退している。しかし、その後もしばらくは国際連盟阿片委員会に統計資料を送っていた)。」
自衛隊もモルヒネ……。下「」引用。
「日本軍は衛生兵がモルヒネをまとめて持っていた。この場合、衛生兵が負傷兵の近くに必ずいる必要があった。衛生兵が離れていて、かけつけられない場合、負傷兵は痛みのため、七転八倒し、体力をむだに消耗せねばならなかった。これに対して、アメリカ軍は個々の兵士にモルヒネを持たせた。アメリカの豊かさと軍事思想(個々の兵士をどれぐらい大事にするかという)の違いが、ここにも現われていた。現在の日本の自衛隊も、モルヒネを備蓄しているはずである。」
海軍と児玉誉士夫。下「」引用。
「一方、海軍も、おくれて陸軍のマネをし、海南島で阿片を作らせた。海軍の代理人が児玉誉士夫であった。彼らは阿片政策のおこぼれにあずかることで、いずれも巨万の富を得ることができた。」
条約……。下「」引用。
「戦前、阿片に関して四つの国際条約が締結された。一九一二年にまず、ハーグ阿片条約が締結される。その後、創設された国際連盟の働きによって、一九二九年にジュネーブ第一阿片条約とジュネーブ第二阿片条約が作られた。また、一九三一年には「麻薬の製造の制限および分配取締に関する条約」も成立している。これらの国際条約は阿片・モルヒネ類の密輸を厳しく禁止していた。日本は四つの条約にいずれも調印・批准していたから、これらの国際条約を遵守する義務を国際的に負っていた。にもかかわらず、イギリスに代わって、これらの問題の主役になってゆく。」
外務省は見てみぬふり……。下「」引用。
「外務省はそういう相手を説得しきれなかった。結局、現地のいわゆる現実主義路線に負けてしまう。一九二○年代後半になると、外務省は現実と妥協してしまう。モルヒネ密輸も、見て見ぬふりをしてゆく。実際、モルヒネ密売の在留日本人に対する領事裁判の判決もどんどん甘くなってゆく。領事もしょせん、外務省の役人であった。-略-」
満州医科大学卒・正山博士のつくった東光剤。
夢のような薬? しかし、すっかり忘れさられているという。
後藤新平が台湾で提案した、阿片専売制が、阿片政策のさきがけ。
金づる……。下「」引用。
「日本は阿片中毒者に対して、まさに「生かさぬように、殺さぬように」という方針で臨んだ。」
菊池酉治(きくちゆうじ)、阿片禁止運動家。中国で知られていた菊池。下「」引用。
「中国側の阿片禁止運動の機関誌『拒毒月刊』に、菊池が書いた文章がしばしば翻訳されて掲載されていた。だから、菊池は数少ない日本人の阿片禁止の運動家として中国側から知られていた。」
阿片系統図。
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倉橋正直・著/共栄書房2008年
帯に書かれてあります。下「」引用。
「帝国 阿片を用いた中国侵略
日本は世界第一の麻薬生産・密諭国!
戦前の日本の知られざる衝撃の歴史的事実を追う!!」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/34/aeed4379dc73c3964a91f2a33046b8fd.jpg)
表紙の裏に書かれてあります。下「」引用。
「戦前の日本の知られざる衝撃の事実!
今日、薬物汚染が世界的に問題になっている。日本もまた例外ではなく、すでにその害は軽視できない段階に至っているが、日本国民の多くは、日本が薬物汚染問題では被害者の立場にあるとだけ考えている。たしかに、現在、あるいは戦後の時期に限定すれば、日本は被害者である。しかし、戦前まで視野に入れれば、当時、日本は恐るべき加害者であった。すなわち、日本は世界一の麻薬生産国であって、阿片・モルヒネ・ヘロインなどの毒物を大量に、かつ長期間にわたって中国や朝鮮をはじめとするアジア諸国に密輸した。その結果、アジア諸国民は、はかりしれない害毒を被った。しかし、戦後の日本は、そういった恥ずべき行為を真摯に反省するどころか、ひたすら隠蔽し続けてきたのだ。」
二種類の人間が満州にまず入りこんだ……。下「」引用。
「中国側の抵抗で、当時、満州と呼んでいた中国東北地方に、日本人はなかなか入れなかった。しかし、その中で例外的に二種類の日本人、すなわち、「売春婦」と「モルヒネの密売人」が、かなり多数、入り込んでいた。この現象を見つけたので、この二種類の日本人のことを調べ始めた。研究を進める中で、前者は北方系からゆきさんの研究、後者は日本の阿片政策に発展していった。」
福沢諭吉がすすめたものですね……。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/0e/d13084b46ef837ee063cc42d310f9a43.png)
二反長音蔵のことが書かれてあった。
「ケシ栽培普及王」 下「」引用。
「彼は、敗戦でケシ栽培が禁止されるまで、一貫してケシ栽培の普及に命をかけた。「阿片王」のあだ名があったが、しかし、実際は「ケシ栽培普及王」であった。」
大阪府の地場産業・ケシ栽培。下「」引用。
「当初、二反長音蔵の影響で、大阪府がケシ栽培では圧倒的な成績をおさめていたが、その後、和歌山県が伸張し、第一位の地位を奪う。一九二八年、第一位の和歌山県と第二位の大阪府だけで九八%を占めた。ケシ栽培は、この二府県に集中し、他の府県はほとんど栽培しなかった。最盛期は一九三七年で、全国で約一万二○○○戸の農家がケシを植えた。」
モルヒネの国産化、星製薬。下「」引用。
「星一が社長であった星製薬は、最初にモルヒネ生産に成功したことで、大きな発展をする。しかしその後、政争に巻き込まれて、倒産してしまう。星薬科大学だけがその名残りである。「ショートショート」の小説家・星新一は息子である。」
ヘロイン一位日本。下「」引用。
「日本のモルヒネの生産額は世界第四位、ヘロインは第一位(全世界生産額の四割弱を占めた)、コカインも第一位(同三割弱を占めた)であった(日本は一九三三年に国際連盟から脱退している。しかし、その後もしばらくは国際連盟阿片委員会に統計資料を送っていた)。」
自衛隊もモルヒネ……。下「」引用。
「日本軍は衛生兵がモルヒネをまとめて持っていた。この場合、衛生兵が負傷兵の近くに必ずいる必要があった。衛生兵が離れていて、かけつけられない場合、負傷兵は痛みのため、七転八倒し、体力をむだに消耗せねばならなかった。これに対して、アメリカ軍は個々の兵士にモルヒネを持たせた。アメリカの豊かさと軍事思想(個々の兵士をどれぐらい大事にするかという)の違いが、ここにも現われていた。現在の日本の自衛隊も、モルヒネを備蓄しているはずである。」
海軍と児玉誉士夫。下「」引用。
「一方、海軍も、おくれて陸軍のマネをし、海南島で阿片を作らせた。海軍の代理人が児玉誉士夫であった。彼らは阿片政策のおこぼれにあずかることで、いずれも巨万の富を得ることができた。」
条約……。下「」引用。
「戦前、阿片に関して四つの国際条約が締結された。一九一二年にまず、ハーグ阿片条約が締結される。その後、創設された国際連盟の働きによって、一九二九年にジュネーブ第一阿片条約とジュネーブ第二阿片条約が作られた。また、一九三一年には「麻薬の製造の制限および分配取締に関する条約」も成立している。これらの国際条約は阿片・モルヒネ類の密輸を厳しく禁止していた。日本は四つの条約にいずれも調印・批准していたから、これらの国際条約を遵守する義務を国際的に負っていた。にもかかわらず、イギリスに代わって、これらの問題の主役になってゆく。」
外務省は見てみぬふり……。下「」引用。
「外務省はそういう相手を説得しきれなかった。結局、現地のいわゆる現実主義路線に負けてしまう。一九二○年代後半になると、外務省は現実と妥協してしまう。モルヒネ密輸も、見て見ぬふりをしてゆく。実際、モルヒネ密売の在留日本人に対する領事裁判の判決もどんどん甘くなってゆく。領事もしょせん、外務省の役人であった。-略-」
満州医科大学卒・正山博士のつくった東光剤。
夢のような薬? しかし、すっかり忘れさられているという。
後藤新平が台湾で提案した、阿片専売制が、阿片政策のさきがけ。
金づる……。下「」引用。
「日本は阿片中毒者に対して、まさに「生かさぬように、殺さぬように」という方針で臨んだ。」
菊池酉治(きくちゆうじ)、阿片禁止運動家。中国で知られていた菊池。下「」引用。
「中国側の阿片禁止運動の機関誌『拒毒月刊』に、菊池が書いた文章がしばしば翻訳されて掲載されていた。だから、菊池は数少ない日本人の阿片禁止の運動家として中国側から知られていた。」
阿片系統図。
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