磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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日本の阿片戦略-隠された国家犯罪-

2010年09月03日 | 読書日記など
『日本の阿片戦略-隠された国家犯罪-』
   倉橋正直・著/共栄書房1996年

帯に書かれてあります。下「」引用。

「衝撃の事実。知られざる、もう一つの国家犯罪!
国際条約に違反して、一大麻薬帝国を形成し、莫大な利益を得ていた戦前の日本!和歌山県、大阪府を中心に国内でも大量になされていたケシ栽培、中国への密輸出、軍の関与……。丹念な調査にもとづき、日本の阿片・モルヒネ政策の実像に迫る!」



第一次大戦を経て……。下「」引用。

「その後、大戦末期から一九二○年代初頭にかけて、イギリスと日本で逆転してゆく。第一次世界大戦を経て、イギリスの国力は総体的に低下するが、阿片問題においても、インド産阿片の輸出をやめたことで、確実に影響力が小さくなった。」

厚労省のルーツ。下「」引用。

「水俣病の患者救済や、薬害エイズ裁判における、近年の厚生省の対応は随分、ひどいものである。これが国民の健康や衛生に責任を持つ官庁の対応かと、あきれさせる。しかし、厚生省のルーツをたどれば、警察などを握っていた内務省にたどりつく。厚生省が実は内務省の分身であり、内務的な体質を今日も払拭しきれないでいることがわかれば、国民に背を向けた、現在の厚生省の対応ぶりも、おのずから理解できる。--これが、阿片問題と厚生省の関係を調べてゆくうちに、自然と身についた私の感想である。」

「小作人はケシ、自作農はミカンを植えた」 下「」引用。

「ケシは手をかければかけるほど、それだけ多くの収穫が期待できたからである。こうして、小作人は、ケシを植え、せい一杯、手をかける。それによって、収益がそれだけ増大することはなかった。」

堕落していく日本軍……。下「」引用。

「しかし、他方では、阿片事業の収益金から、正規の予算に計上されない、いわば「あぶく銭」を恒常的に得たことは、関東州の軍部の精神をまちがいなく堕落させていった。日露戦争までの時期、日本軍は相対として健全であった。しかし、その後、シベリア出兵の頃から、次第に健全さを失ってゆく。このような軍部の変化には、いろいろな要因がかかわっていようが、私は、その一つの要因として、出先の軍部が、関東州で、阿片事業の収益金から秘密資金を得ていたことをあげたい。恒常的に「あぶく銭」を入手で゜きるようになった軍部は、やがて、満州などで、ろくでもない動きをしてゆく。「悪銭、身につかず」とは、よくいったものである。」

大正製薬、今ある会社とは異なるという。下「」引用。

「この方針の下に、朝鮮総督府は、製薬用阿片の売下(うりさげ)制度なるものを作る。まず、総督府が特定の民間の製薬会社を指定する。その会社に、総督府が収納した阿片を独占的に買い上げさせ、それを原料としてモルヒネ類を製造させるというものである。指定された製薬会社は、独占的に原料阿片の売下を受けることができた。
 一九一九年(大正八年)一一月、東京に本社を有する大正製薬株式会社が、この指定を受ける」

朝鮮人をモルヒネ中毒にしたてる。下「」引用。

「以上のようにして、朝鮮で、モルヒネ類を製造する体制は整う。次は製造されたモルヒネ類の消費である。朝鮮で大量に製造されたモルヒネ類は、やはり朝鮮の中で売りさばかねばならなかった。当然のことながら 、朝鮮の中で、モルヒネの消費者としては、朝鮮人が狙われた。植民地当局は、むしろ、朝鮮人が進んでモルヒネを摂取するように、意識的にしむけた。
 金俊淵が指摘したように、法律上、モルヒネの摂取は野放しにされ、罪に問われなかったのも、その一つである。詳しいことは不明だが、朝鮮人がモルヒネに手を出しやすいように、法律上の措置だけでなく、警察の取締りその他も、いろいろ、配置されたはずである。-略-」

「モルヒネ中毒者の蔓延」下「」引用。

「朝鮮において、モルヒネ中毒者が確実に増加してゆく、前述の金俊淵の文章では、一九二一年段階で、すでに一万人以上のモルヒ中毒者がいると述べていた。-略-」

今の会社とは無関係の大正製薬のモルヒネ密売事件、トップクラスの社員が関わっていた。

警部補が逮捕されるが、禁固一カ月という軽さだったという。

「七○万人という可能性もある」モルヒネ中毒者数。中毒者が日本へ。下「」引用。

「前述したように、故国の朝鮮で、朝鮮人のかなりの者がすでにモルヒネ中毒になっていた。朝鮮人は、それこそ一○○万人単位で日本へ移住してきた。人数があまりに多かったから、日本側がモルヒネ中毒者をチェックすし、彼らの移住を禁止しようとしても、実際には無理だった。そのため、モルヒネ中毒者も、そのまま日本に移住してきてしまう。-略-」

三千人の中毒者、東京。下「」引用。

「当時、東京には朝鮮人が約四万人、来ており、彼らのうち、三○○○人内外が麻薬中毒者であった。生江戸孝之たちは、このうち、一年にわずか四○名程度を収容して治療を施すだけにすぎなかった。だから、彼が率直に述べているように、全体的に診れば、彼らの仕事の効果は、たしかにたかが知れていた。」









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