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岩波ブックレットNo.628 第五福竜丸 ビキニ事件を現代に問う

2008年04月20日 | 読書日記など
『岩波ブックレットNo.628
   第五福竜丸 ビキニ事件を現代に問う』
     川崎昭一郎・著/岩波書店2004年

「現代に問う」といのなら、もっと広い視野でみてもらいたかった気がボクにはします。



人気スポットに第五福竜丸展示館が立っているそうです。下「」引用。

「東京都江東区の「夢の島公園」は、その後に開発された若者たちの人気スポットである「お台場」と、千葉方面の葛西(かさい)臨海水族園、ディズニーランドにはさまれた新木場にある。この公園内のマリーナに続く広場に、東京都立第五福竜丸展示館が立っている。外観は、百科事典の背表紙を上にして立てたような独特の形をしている。
 展示室の建物内に入ると、ドックにでも入ったような錯覚におちいる。」

第五福竜丸の初航海のことなども書かれてありました。下「」引用。

「福竜丸としての初航海は、一九五三年六月一○日から七月二四日までで、ニューギニア北東からビスマーク諸島西の海域で、メバチマグロ約四五トンを漁獲した。四回目の航海では、インドネシアのバンダ海でメバチを中心に漁獲し、帰港途中の一二月二八日にインドネシアのハルマヘラ島付近で領海侵犯の疑いで捕らえられそうになったが、すぐに解放され一九五四年一月一五日に焼津に戻った。」

乗組員の顔写真と職名、出身地、その後が掲載されてありました。
肝臓ガンで亡くならている人が7人もおられます。
肝機能障害は他に4人……。

急性症状のことも書かれてありました。下「」引用。

「大子福竜丸は事件から二週間後の三月一四日午前五時五○分に、母港の焼津に帰り着いた。乗組員は全員、帰港の途上で放射能を大量に含んだサンゴ礁のこまかい灰が顔、手、足、髪の毛に付いたり、おなかのまわりにたまったりしたうえに、その灰を鼻や口からも体内に吸い込んだ。灰が付着したところは放射線でやけどの状態になり、頭痛、吐き気、目の痛みを訴え、顔はどす黒く変わり、歯ぐきからは血がにじみ出、髪の毛を引っ張ると根元から抜けてしまうなど、急性放射能症にかかっていた。」

ゴジラを記憶されてもよいそうです。下「」引用。

「映画「ゴジラ」(本多猪四郎監督、円谷英二特撮監督)第一作が第五福竜丸事件の年に登場した水爆怪獣だったことも記憶されてよい。」

あまり、ピンとボクはに来ませんが……。
--それよりも、ヒロシマ・ナガサキの原爆の実相を記憶していただきたい!

ポイズンと島の人たちは呼んでおられたそうです。下「」引用。

「一九五八年六月のアメリカのブルックヘブン国立研究所の報告書は「マーシャル諸島の被ばく者集団は、人間に対する放射線の影響についての最も価値ある環境放射能データを提供している」と述べている。同研究所は人々の健康調査を定期的に実施しているが、治療はしなかった。
 村長のジョン・アンジャインは「ヤシの実を食べると口の中が熱くなって、皮膚に赤いデキモノができた。魚を食べるとお腹が痛くなって下痢をした。そんなことは以前にはなかったことです。ポイズン(「放射能」のことをマーシャル諸島の人々はそう呼んだ)のせいだと思いました」と語っている。
 その一年後、女性たちの間で死産と流産が多くみられた。ロンゲラップ島やウトリック島住民にも甲状腺腫瘍がみつかった。原因は放射性ヨウ素と考えれた。」


ボクは今から第五福竜丸を取り上げるなら、当然、その他の船も被曝していたことを伝えるべきだと思います。

もうひとつのビキニ実験  1000隻をこえる被災船を追う

ビキニの海は忘れない 核実験被災船を追う高校生たち


そして、それを隠した日本のマスコミのことも追究していただきたい気がします。

一番、最初に第五福竜丸の事件をスクープしたのは、讀売新聞社だという。

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