磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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平和読本シリーズ1 原子力発電はいらない

2008年07月13日 | 読書日記など
『平和読本シリーズ1 原子力発電はいらない』
   内野悳郎・著/らくだ出版1982年

この意見が印象に残りました。下「」引用。

「だから、私は原子力発電について、平和利用であればよいとか、放射能をとじこめさえすればよいとかの次元の問題ではなく、地球上の安定した物質を人工的に変化させる核分裂そのものを否定する。」



燃料棒について書かれありました。下「」引用。

「原子炉に入れる「燃料」は、棒状にしたもので、「燃料棒」と呼ばれている。この中には「ウラン二三五」という核分裂をするウランを二~三パーセントまで濃縮し、酸素とむすびつけたもの(二酸化ウランとよぶ)が入っている。」

そして、マッチ箱ていどというものではないとも……。下「」引用。
「燃料棒は、この濃縮ウランを、鉛筆ぐらいの太さで、二~三cmの長さに切って焼きかためたペレットとよばれる小さなものを、「ジルカロイ」という金属の厚さ一mmくらいの筒に入れたものだ。筒の長さは三~四mもある。この筒を五○~二○○本をひとまとめにしたものを「燃料集合体」とよぶ。原子炉の中心(炉心)には、この燃料集合体が五○~二○○体入れてある。燃料棒は合計数万本にもなり、重さは約一○○トンにも達する。原子力発電のウランは、マッチ箱ていどというものではなく、トラック何十台分という量である。」

なぜ中性子を核分裂で用いるか? 下「」引用。

「なぜ中性子が選ばれたかを考えてみよう。原子核はプラス、このまわりをまわっている電子はマイナスの電気をもっている。このマイナスの電気をもった電子の網の目をくぐりぬけ、プラスの原子核に近づき、入りこむ(吸収)ためには、電気的に「中性」でなければならない、というわけだ。」

インドの原発をとりあげ、そしてこう結論をしめくくる……。下「」引用。

「原子力の平和利用と軍事利用はまったく紙一重の差であることは忘れてはならない。」

現実にもそうだった……。

敦賀原子力発電所の事故の事故も書かれてありました……。下「」引用。

「一九八一年三月、日本原子力発電株式会社の福井県の敦賀原子力発電所で、放射能を含む廃液もれ事故を起こした。この廃液は、原子炉内の冷却水、発電所内の洗浄水などで、コバルト六○、マンガン五四などの放射性物質を含む液体だ。-略-約四○トンの廃液が工場から流れ出し、放水口から工場外の海に流れ出たものといわれる。」

それは安全とか人類の幸福とかいう発想から生まれたものではなかったです、たしかに……。下「」引用。

「原子力発電は原子爆弾の技術を単純に応用したものであって、人類のためにははじめから開発されたものでもなんでもない。石油が不足したために作ったとか、将来の人類のエネルギーとして開発した、とかいうものではない。」







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