『坂本龍馬伝-幕末を駆け抜けた英傑の生涯 これ1冊ですべてわかる- 別冊歴史読本』
佐藤實・編/新人物往来社2009年
大河ドラマ「龍馬伝」見どころガイド
インタビュー 鈴木圭(チーフ・プロデューサー)/ロケだより
……というのがありますね。
「岩崎弥太郎の登場で、知られざる龍馬像が見えてきます」 下「」引用。
「龍馬を主役に、新しいドラマを創ろうと試行錯誤していたとき、岩崎弥太郎の存在が非常に気にかかりました。史実としては、龍馬との接点はわずかで、しかも龍馬の人生の後半で関わったくらいです。岩崎弥太郎は、有名ですが評伝は少なくて、詳しい人生は知らない人が多いでしょう。そこはドラマですから、フィクションで創ることができます。-略-」
「龍馬のピストル」下「」引用。
「龍馬は、生涯ふたつの銃を手にしたが、ひとつ目の銃は、高杉晋作から上海みやげとして贈られた、「スミス&ウエッソン・第2型アーミー」32口径の6連式。龍馬は、これを肌身離さず餅歩き、寺田屋事件では、実際に使用して難を逃れたが、逃走中に紛失。次に手にした銃は、薩摩藩から贈られた「スミス&ウエッソン・第1型1/2ファースト・イッシュー」と呼ばれる22口径の5連式。この銃は近江屋で龍馬が暗殺された際、その遺体のそばに転がっていたが、引き金が引かれた形跡はなかったという。」
龍馬のピストル
黒船は見ていない龍馬。下「」引用。
「龍馬が黒船を見物に来たという記録がないので、「龍馬は来ていません」と答えると、私の意見より、司馬先生の著作の方を圧倒的に支持する方々は、私の浅学を憐れんでくれる。-略-象山の足跡を龍馬に置き換えたものであろうということまで説明することにしている。-略-嘉永6(1853)年6月3日、ペリーが率いる黒船が来航すると、品川にあった土佐藩邸周辺の警備のために駆り出されている。」
もくじ
西郷隆盛にいったという「世界の海援隊」は改竄だという……。下「」引用。
「まず、新官制擬定書は龍馬が作成したものではなく、龍馬の委託により尾崎三良(おざきさぶろう)(当時、戸田雅楽(とだうた)、三条実美(さんじょう実美家士)が起草したものである(『尾崎三良自叙略伝』上巻)。尾崎によれば、起草した日にちは大政奉還当日の十月十四日である。
しかも、この前後、龍馬が西郷たちに会った形跡はない。そして西郷は小松・大久保とともに十月十七日帰京し、これが永遠の別れとなった。龍馬の代わりに尾崎が西郷に会ってはいる。-略-新官制擬定書の起草者である尾崎の証言は「世界の海援隊」の逸話が虚構であることを示している。」
そして、新官制擬定書は5種類あるという。そして、龍馬の名前が、「参議」のなかにあるのもあるという。
龍馬を顕彰する銅像やモニュメントは多い(写真「維新の門」高知県梼原町)
龍馬の遺言でお龍の妹起美と結婚した菅野覚兵衛……。
もくじ
目次
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佐藤實・編/新人物往来社2009年
大河ドラマ「龍馬伝」見どころガイド
インタビュー 鈴木圭(チーフ・プロデューサー)/ロケだより
……というのがありますね。
「岩崎弥太郎の登場で、知られざる龍馬像が見えてきます」 下「」引用。
「龍馬を主役に、新しいドラマを創ろうと試行錯誤していたとき、岩崎弥太郎の存在が非常に気にかかりました。史実としては、龍馬との接点はわずかで、しかも龍馬の人生の後半で関わったくらいです。岩崎弥太郎は、有名ですが評伝は少なくて、詳しい人生は知らない人が多いでしょう。そこはドラマですから、フィクションで創ることができます。-略-」
「龍馬のピストル」下「」引用。
「龍馬は、生涯ふたつの銃を手にしたが、ひとつ目の銃は、高杉晋作から上海みやげとして贈られた、「スミス&ウエッソン・第2型アーミー」32口径の6連式。龍馬は、これを肌身離さず餅歩き、寺田屋事件では、実際に使用して難を逃れたが、逃走中に紛失。次に手にした銃は、薩摩藩から贈られた「スミス&ウエッソン・第1型1/2ファースト・イッシュー」と呼ばれる22口径の5連式。この銃は近江屋で龍馬が暗殺された際、その遺体のそばに転がっていたが、引き金が引かれた形跡はなかったという。」
龍馬のピストル
黒船は見ていない龍馬。下「」引用。
「龍馬が黒船を見物に来たという記録がないので、「龍馬は来ていません」と答えると、私の意見より、司馬先生の著作の方を圧倒的に支持する方々は、私の浅学を憐れんでくれる。-略-象山の足跡を龍馬に置き換えたものであろうということまで説明することにしている。-略-嘉永6(1853)年6月3日、ペリーが率いる黒船が来航すると、品川にあった土佐藩邸周辺の警備のために駆り出されている。」
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西郷隆盛にいったという「世界の海援隊」は改竄だという……。下「」引用。
「まず、新官制擬定書は龍馬が作成したものではなく、龍馬の委託により尾崎三良(おざきさぶろう)(当時、戸田雅楽(とだうた)、三条実美(さんじょう実美家士)が起草したものである(『尾崎三良自叙略伝』上巻)。尾崎によれば、起草した日にちは大政奉還当日の十月十四日である。
しかも、この前後、龍馬が西郷たちに会った形跡はない。そして西郷は小松・大久保とともに十月十七日帰京し、これが永遠の別れとなった。龍馬の代わりに尾崎が西郷に会ってはいる。-略-新官制擬定書の起草者である尾崎の証言は「世界の海援隊」の逸話が虚構であることを示している。」
そして、新官制擬定書は5種類あるという。そして、龍馬の名前が、「参議」のなかにあるのもあるという。
龍馬を顕彰する銅像やモニュメントは多い(写真「維新の門」高知県梼原町)
龍馬の遺言でお龍の妹起美と結婚した菅野覚兵衛……。
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