『永井隆全集III』
サンパウロ2003年
・いとし子よ
・ロザリオの鎖
・亡びぬものを
・新しき朝
・村医
・乙女峠
・永井隆年譜要旨
以上が収録されています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/ea/cdd0a22ba3101a07680e2128dcf042e6.jpg)
『いとし子よ』という作品では、永井隆は子どもたちに対して書いたものです。
子どもたちは、永井隆さんの子どもさんに対して、
「ばんぞ(ものもらい)の子」とからかったという。
からかう方は気楽なことだけど、からかわられる人は辛いものですね。
古今東西そうであるようです。昨年はワールドカップのジタン選手の頭突きが話題になりましたね。
差別をする人が根本的に悪いのです。このことを忘れてはいけないと思うのですが、暴力として復讐するのは止めたほうがいいと思います。
スポーツマンシップといいながら、暴言(言葉の暴力)を許すのも間違いだと思います。
親子心中もこの当時多かったという。
心の飢え、心の餓死、今の時代も。下「」引用。
「心の飢え--文化の低さ。
心の餓死--野蛮。」
昭和天皇が長崎に行かれた時のことが書かれてありました。下「」引用。
「昭和二十四年五月二十七日。
天皇陛下は長崎にいらっしゃって、親しく原子野をお巡りになり、市民奉迎場で、市民にありがたい言葉をたまわった。
「市民諸君。本日は長崎市復興の状況を見聞し、また市民の元気な姿に接することができてうれしく思います。長崎市民が受けた犠牲は同情にたえないが、われわれはこれを平和日本建設の礎として、世界の平和と文化のために努力しなければならないと思います」」
『ロザリオの鎖』では、あいさつが「やあ、生きていましか!」であったそうです。
息子さんのことを、孤児予定者と書いておられました。
秋月辰一郎さんとの会話がさわやかです。
『村医』では、一分もかかわらず梅毒と診断した自称名医は、試験に落ちる。
そして、その理由が書かれてありました。下「」引用。
「臨床医学は数学とは違うんだ。診断の答えが出さえすればよいというわけにはゆかぬよ。その名医さんは落第するはずだ。大事なのは診断をつけるまでの考えの進め方なのだ。……人間の体は実は複雑で、しかも巧妙に統一されている。僕たちの簡単な頭で、ずばりと分かるものじゃない。病気のことだって教科書には、はっきり分っているように書いてあるが、あれは初歩の学生に大体の所をおぼさせるためで、実際はそう割り切れる結論が出るものじゃない。たとえば、そのワッセルマン反応にしたって、教科書には簡単に、陽性ながらバイドクと書いてある。ところが実際には陽性でありながらバイドクでない例外もあり、バイドクでありながら陽性に出ない例外もあるんだ。君が分かりませんで通したのが、実に科学的だったんだよ。」
今では三分診療という言葉があり、三分で診療してしまう時代ですね。
アメリカではエイズ検査の間違いがけっこうあると本に書かれてありました。
それで人生をだいなしにした方が幾人もおられるそうです。
中学の先生と東大の先生の違いが書かれてありました。下「」引用。
「大学の先生は何でも知っている博士と思っていましたが……」と登が重々しく言った。
「なあに、君、大ちがいだ。何でも分っているのは、中学校の先生だ。大学は、君、--これらの密林だよ」と吉井さんは言いながら、右の人差し指で、登の目の前の空気を?--の形に切った。」
十字架上でのイエズスは腰布さえなかったと永井隆は書いていました。
何かドラマとして考えると、大きく雰囲気が変わるような気がします。
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サンパウロ2003年
・いとし子よ
・ロザリオの鎖
・亡びぬものを
・新しき朝
・村医
・乙女峠
・永井隆年譜要旨
以上が収録されています。
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『いとし子よ』という作品では、永井隆は子どもたちに対して書いたものです。
子どもたちは、永井隆さんの子どもさんに対して、
「ばんぞ(ものもらい)の子」とからかったという。
からかう方は気楽なことだけど、からかわられる人は辛いものですね。
古今東西そうであるようです。昨年はワールドカップのジタン選手の頭突きが話題になりましたね。
差別をする人が根本的に悪いのです。このことを忘れてはいけないと思うのですが、暴力として復讐するのは止めたほうがいいと思います。
スポーツマンシップといいながら、暴言(言葉の暴力)を許すのも間違いだと思います。
親子心中もこの当時多かったという。
心の飢え、心の餓死、今の時代も。下「」引用。
「心の飢え--文化の低さ。
心の餓死--野蛮。」
昭和天皇が長崎に行かれた時のことが書かれてありました。下「」引用。
「昭和二十四年五月二十七日。
天皇陛下は長崎にいらっしゃって、親しく原子野をお巡りになり、市民奉迎場で、市民にありがたい言葉をたまわった。
「市民諸君。本日は長崎市復興の状況を見聞し、また市民の元気な姿に接することができてうれしく思います。長崎市民が受けた犠牲は同情にたえないが、われわれはこれを平和日本建設の礎として、世界の平和と文化のために努力しなければならないと思います」」
『ロザリオの鎖』では、あいさつが「やあ、生きていましか!」であったそうです。
息子さんのことを、孤児予定者と書いておられました。
秋月辰一郎さんとの会話がさわやかです。
『村医』では、一分もかかわらず梅毒と診断した自称名医は、試験に落ちる。
そして、その理由が書かれてありました。下「」引用。
「臨床医学は数学とは違うんだ。診断の答えが出さえすればよいというわけにはゆかぬよ。その名医さんは落第するはずだ。大事なのは診断をつけるまでの考えの進め方なのだ。……人間の体は実は複雑で、しかも巧妙に統一されている。僕たちの簡単な頭で、ずばりと分かるものじゃない。病気のことだって教科書には、はっきり分っているように書いてあるが、あれは初歩の学生に大体の所をおぼさせるためで、実際はそう割り切れる結論が出るものじゃない。たとえば、そのワッセルマン反応にしたって、教科書には簡単に、陽性ながらバイドクと書いてある。ところが実際には陽性でありながらバイドクでない例外もあり、バイドクでありながら陽性に出ない例外もあるんだ。君が分かりませんで通したのが、実に科学的だったんだよ。」
今では三分診療という言葉があり、三分で診療してしまう時代ですね。
アメリカではエイズ検査の間違いがけっこうあると本に書かれてありました。
それで人生をだいなしにした方が幾人もおられるそうです。
中学の先生と東大の先生の違いが書かれてありました。下「」引用。
「大学の先生は何でも知っている博士と思っていましたが……」と登が重々しく言った。
「なあに、君、大ちがいだ。何でも分っているのは、中学校の先生だ。大学は、君、--これらの密林だよ」と吉井さんは言いながら、右の人差し指で、登の目の前の空気を?--の形に切った。」
十字架上でのイエズスは腰布さえなかったと永井隆は書いていました。
何かドラマとして考えると、大きく雰囲気が変わるような気がします。
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