磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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教科書に書かれなかった戦争

2009年01月17日 | 読書日記など
『教科書に書かれなかった戦争』
  アジアの女たちの会編 8・15と
    アジアグループ(アジア文化フォーラム)・編/梨の木舎1983年

戦争を伝えるのが目的ではなく、平和な世の中にするのが目的だとボクは思う。
--目的をしっかり持って、勉強などもしてもらいたいものですね。



風化させたい人たちがいるという……。下「」引用。

「「八・一五」は「風化した」と、毎年マスコミが宣伝てする。だが「一九四五年八月十五日」は、三七年の歳月のなかで自然に「風化した」のではない。風化させることを願っている人びと、勢力がいるのである。「風化した」と書きたて、報道するマスコミも含めてである。開戦・侵略の張本人である天皇は、八・一五のたびに戦没者とその遺族を慰撫する主催者であり続けている。」

この本も古いですね。天皇はある意味、このような人たちよりも、現在は平和主義ではないか? 綱渡りといってもいいかもしれいが……。諸外国の人たちも、そのように見ている人もいるようだ……。(もちろん、問題はある……。)

北原白秋もこんな作品をつくっている……。下「」引用。

「興(おご)れよ 起(た)てよ 建国の
声はあがれり 気は満ちぬ
協和の楽土なごやかに
栄えよ来れ 諸民族
とどろと歌え 日は若く
国は新し 大満州
自由の天地 今日ここに
蕩々(とうとう)として光あり
蕩々として光あり
     北原白秋(『満州副読本』)」

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「南京陥落祝賀式典」と「南京大虐殺」……。下「」引用。

「日本人として心が凍りつくような記憶は、一九三九年十二月の「南京虐殺」のことです。当時、何も知らない私たちハルビンの女学生は、「南京陥落祝賀式典」に参列し、関東軍のブラスバンドを先頭に、「天に代わりて不義を撃ち--」(どちらが不義だか)などという軍歌をうたいながら、目抜きの大通りを行進しました。その日本人の歓呼のどよめきを中国人たちは、どんな眼でみたでしょうか。」

七三一部隊家族は安全な時に逃げたという……。下「」引用。

「「外地に残って居られた皆さんには誠に申訳ないのですが、私達が一番早く日本へ引揚げてきた様に思われます。そしてその年の十月半ば頃父も無事に帰国」と、七三一部隊の家族であった元教師のY・Hさんはハルビン女学校の第一回同窓会誌にかいています。このように、八月十一、二日の時点で、戦争指導者たちは敗戦を察知し、それに対して自分たちの身の安全のための手をうっていました。
 それにくらべて、旧満州の奥地で敗戦を迎えた民間人は惨憺たる思いをしていたのです。
 自決用の手榴弾(しゅりゅうだん)をもって山野を逃げまどううちに、弱い者はつぎつぎに死んでいった。-略-」

資料『死の鉄路』リンヨン・ティッルウィン(著)。下「」引用。

「ロームシャ狩り
「-略-まったく、この時期、この時代、労務者徴収はビルマの各地で一大捕物の趣きを呈してたのだ。」

中国は忘れない……。下「」引用。

「共同声明は「過去の我国が貴国に与えた損害に深甚なる反省をする」と述べたのです。その時、中国側を代表して周恩来総理ははっきり態度を明らかにして次の様に述べました。「中国の昔のことわざにこのうよなものがあります。前者が誤ちを犯したことについては、後者の戒めにしようではないか」それは、我々中国人民は決して過去については忘れませんよということです。」

ヒロシマ・ナガサキは忘れないだろう……。
--しかし、東京大空襲は?

靖国法案反対デモ--1974年3月」というタイトルの写真あり。

フィリピンと日本……。下「」引用。

「戦争中の日本軍による残虐行為の生傷は、戦後のフィリピンにおいて心情的な「日本嫌い」の原因となり、そのこともあって終戦十一年後一九五六年まで、日本との国交正常化がなされませんでした。一九六○年に、比日友好通商航海条約の話がもち出され、日本側はそれが直ちに承認されたものの、フィリピン側の反対の声の高まりによって十二年間も上院において拒否され続けてきました。-略-独裁政権誕生の一年後の一九七三年に、反対し続けた上院も撤廃され、フィリピンでの民主主義敵な基盤が打ちつぶされた中でマルコス大統領は独断的にその条約を結び、フィリピンという「畑」を、進出先を求めていた日本のあらゆる企業に解放したのでした。-略-」







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