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「戦争と平和」少年少女の記録4 戦時下に生きる-おさない戦士-

2009年04月17日 | 読書日記など
『「戦争と平和」少年少女の記録4 戦時下に生きる-おさない戦士-』
   秋山正美・編/日本図書センター1993年

よい戦争というものはないが、どん底にはまだ入ってなかったようだ。
戦場を他国にしていたら、日本国内では一見平和に思えるのだろう……。



■目次・主なものだけ■
I 原本・豊田正子『綴方教室』  9
II 原本・遠藤喜美治編『女学生一年の作文』  51
資料 ナチスをまのあたりに見た少年少女の旅行記  135
III 原本・兵庫県立高等女学校国語科編『松柏文集』  151
解説 日本と中国の果てしない全面戦争  223

豊田正子『綴方教室』
--小学生時代の作文だという……。下「」引用。

「豊田正子の小学生時代の作品は、いずれもわかりやすい言葉づかいで、しかも味わい深く、一部だけを選ぶことはむずかしいのですが、-略-」

最後の平和な日々の記録……。下「」引用。

「それはともかく『女学生一年の作文』に集められた作文が書かれたのは、一九三五年から三六年ごろと推定されますから、日本をめぐる国際情勢は、必ずしも穏やかではなかったのですが、国民生活が戦争の深刻な影響を受けることはありませんでした。それだけに、この文集には、戦前最後の平和な日々の記録として価値がある、といってよいでしょう。」

「ナチスをまのあたりに見た少年少女の旅行記」
--これを書いたのはアメリカ人のようです。下「」引用。

「-略-日本からアメリカの太平洋岸に渡るのに、二十日間くらいもかかっていたのです。
 このような時代に、あるアメリカ人のニュース・カメラマンの一家が、ヨーロッパの各地を次々に巡っていました。-略-きょうだいは、知らない国の知らない土地で、見たり聞いたり、自分たちが経験したことを、折に触れて書きつづり、いつの間にか、長い長い旅行記が出来あがりました。-略-」

街の名前もかえられたという……。下「」引用。

「……わたしたちは、フリードリヒ・エバート街にあるサキソニア・ホテルに移りました。この街は、後に、ヒットラー総統が、ヘルマン・ゲーリング街という名前に変えてしまいました。-略-」

「満州国少女の皆様へ」という作文がある。下「」引用。

「親愛なる満州国少女の皆様。
 わたしは、建国の理想に燃え輝いておられる満州帝国の皆様のお顔を思い浮かべて、喜びに打ちふるえながら、つたいな筆をとっております。-略-」

「アメリカのお友達へ」
--まだ、アメリカとの戦争ははじまっていない……。下「」引用。

「ひょうびょうたる煙波(えんぱ)にかすむ太平洋のかなた、アメリカのお友達のみなさま、わたしどもは、日本の少女でございます。まだ見ぬみなさまではございますが、おなつかしい気持ちでいっぱいでございます。アメリカというと、それはいろいろのことが浮かんでまいります。-略-」

多くの写真があるが、一枚の写真に目が止まった。
--仲よくアメリカの市民に。下「」引用。

「ロサンゼルスで開かれた展覧会に集まった少年少女たち。みな異なる国からアメリカへ移ってきた人の子で、前列左から二人目には、日本の少女がいる。いまでは仲良くアメリカ市民に。」(※)以上4枚の写真は、いずれも『世界地理風俗大系』1929年 誠文堂新光社

自分の国を愛するなら、他国も破壊することはしないだろう……。下「」引用。

「祖国を愛する自分は、平和のためにこういうことをしたい。そして、国際社会のためにこうしたい。
 吾孫子さんがそこまで書いていたら、この手紙は、アメリカの人びとから、深い感動をもって迎えられたのではないでしょうか。」










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