磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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「戦争と平和」少年少女の記録3 つよくたくましく-友だち・学校・家庭-

2009年04月17日 | 読書日記など
『「戦争と平和」少年少女の記録3 つよくたくましく-友だち・学校・家庭-』
   秋山正美・編/日本図書センター1993年

--原本。
『綴方読本 上巻』百田宗治・編/第一書房1938年
『綴方読本 下巻』百田宗治・編/第一書房1938年
--資料 歌と絵が語る昭和の子供生活史2が掲載されている。



満州事変について書かれてあった……。下「」引用。

「この作品は、戦争のありさまを述べたものではありませんが、満州事変の結果として出現した「満州国」で、日本人がどのような暮らしをしていたかがわかる貴重な記録のひとつでしょう。宮口さんは、静岡県の小学校に在学しているとき、ハルビンにいたころを振り返って、町や川や学校について在学しているとき、ハルビンにいたころを振り返って、町や川や学校について書いたらしく、それも初めて祖国である人で生活をするようなったばかりの時期らしいので、ここにえがかれているのは、昭和十年前後のハルビンではないかと思われます。
 満州事変は、日本軍が「あっという間に」と形容してよいほどの短い期間に、中国の東北部を占領してしまった軍事行動で、中国軍との間に激しい戦闘らしいものは、おこなわれなかったのです。そのために、日本軍の支配のもとで、治安の回復するのが早く、占領地の住民の日常生活は、宮口さんが書いているとおりの、和やかなものだったのでしょう。」

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「朝鮮生まれの小学生の悲しい思い出」
朝鮮人は当時、強引に日本人にされていましたね……。下「」引用。

「そこで、山岡君の「朝鮮に生まれて」や李(り)君の「盗み」などの作文も、日本の小学生が書いたものの中に含まれているわけです。
 山岡君が、現在、どこでどうしているかわかりません。両親と別れて、日本の内地で働く兄のもとに来ることになったのは、何か事情があったからでしょう。あるいは、山岡君は、朝鮮の子供だったのではないか、とも考えられます。両親とも朝鮮人か、片親だけ朝鮮人か、そうではなくて、両親とも朝鮮で働いていた日本の農民が、いずれであっても、土地を手放してまで、一家そろって内地へ移住することのできない肉親の悩みがあったに違いありません。」

姓名を変えなかった人もいたそうです……。下「」引用。

「「山岡」とは、日本人の姓ですが、日本の政府は、朝鮮の人々に対して、「鈴木」や「中村」というような姓名を名乗るよう、無理強いしていました。もちろん、名前も日本人らしいものに改めるようにしなさい、というのです。それでも、氏名を変更しなければならない、と法律で定められたわけではなかったので、生まれたときからの朝鮮の氏名を変えずにいた人も多かったのです。朝鮮にも内地にも、そういう人がいて、朝鮮人であることに誇りを持って生活していました。-略-」

goo wikipedia】では、説があると書かれてある……。

一部例外があるなら、それで強制ではなかったともいえないだろう……。









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