磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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カラー58分 生きるための証言 いま、ヒロシマから

2006年05月03日 | 読書日記など
『カラー58分 生きるための証言 いま、ヒロシマから』
  提供 : (株)ドリームライフコーポレーション

●文部省選定
●第27回ライプチッヒ国際記録短編映画祭世界平和評議会賞
●第2回山本薩夫記念日本映画復興奨励賞

■制作……「生きるための証言」制作委員会
■証言者……岡崎マキ、富永初子、米田美津子、久保浦寛人、村田忠彦、木村千代子、増本きみ子、下岡靖子、加藤礼子、高崎パル、杉田チヨコ

■かいせつ
 この映画今まで三十九年間、語られることのなかつた被曝者たちが、「今こそ、私たち被曝者が語らなければ滅びる!」「あの核の恐ろしさを伝えなければ死んでも死にきれません」と、その被爆体験と、現在までの生活を初めて語ったフィルムです。その内容は今まで明らかにされてない新事実もいくつか語られており、見る人に感動を呼びさまし、核廃絶への決意を新たに訴える事でしょう。

■あらすじ
 1945年8月6日、アメリカは一発の原子爆弾を広島に投下した。午前8時15分にさく裂したその爆弾によって広島市は壊滅し、その年の暮までに二十数万の生命が奪われた。「原爆ちゅうもんは、ありゃあ地獄じゃね」と岡崎マキさんは語る。「火の玉が体当たりして来た感じで、そのあとは何も分らなくなりました」
 十七歳の女学生だった米田美津子さんは、「知った人を見るとみんなボロボロと皮膚が垂れさがっているんです。それがおかしくておかして、私はケロケロと笑ったんですよね。気がどうなっていたんじょうかね」と言います。「歩いていると自分の腕から垂れさがった皮膚が杭にひっかかったり、瓦にひっかかったりするんです。お水を飲もうと思ったら、死んだ人の手が入っていたり、灰とか汚いものがいっぱい浮いていました。それを除けながら飲んだそのお水のおいしかったこと、いまでも忘れません」何人もの人がそうしたすさまじい体験をつぎつぎと語っていく。
     *   *   *
「バケモノとかハゲとか、子どもってわりと平気でそんなことばを投げつけるんですよね。それがつらくてね。」
 被爆後三十九年の苦しみを語る人たちの声が数限りなくつづく。そのなかには被爆二世、三世への不安もあった。
 米田さんは最後に「神様を私はうらみました。私はこの世にいったい何をしに生まれてきたのかしらって。でもいま思います。原爆とはこんなものだということを、日本だけじゃない、世界の人に分ってほしい」と叫ぶ。




学徒動員で女学生は、軍需工場で
働かされたという。
お国のために働いたが、被爆後、
国は何もしてくれなかったという。

「建物疎開」というのは、やはり建物を壊すだけのようでした。
爆弾を投下されたとき、密集していては燃え広がるのを
防ぐためのようです。

虹の色に輝いたという。
「この絵では、円ですけど、私は線で見えました」
と証言されていました。



米田美津子さんは思い出を語る。
水を飲んでは死ぬというので、口に含むだけ、
全部飲まずに半分出した。
水もしょっちゅうもらえるわけではなかった。
「あんな水のおいしかったことはない」

父は姿が変わっているので、
米田美津子さんのことをわからなかった。
そして父は目が見えなくなり、
最後には亡くなられたという。

ケロイドで首がまわらかったし、
手で隠していたという。

「戦争もダメ、
   原爆もダメ、
     こんなことになるんです。
 死ぬままぎわまで私は言いたい」


追加しました
ぼくの知識がかけている部分がありましたので、
追加しておきました。m(_ _)m



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