磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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ほるぷ自伝選集 女性の自画像8 生きて愛して演技して

2009年04月28日 | 読書日記など
『ほるぷ自伝選集 女性の自画像8 生きて愛して演技して』
   望月優子・著/ほるぷ総連合1980年

著者は女優さんですね。
批判本もありましたね……。




上海へ行く著者。下「」引用。

「《上海上陸》
“土色の河
此処ばかりはスリルスリル
-略-
「万歳、万歳」日本の軍艦よ、
「万歳、万歳!」”」

文章の前半と後半で異なることを書いているのでは? 下「」引用。

「自動車で上海を見物して廻りました。戦争景気というのか、活気のあふれた町でした。そして日本に無いものがなんでもあるような街でした。街の人たちに暗さはない、戦争のおかげはあっても、戦争の苦しみはないような街でした。
 私たちの上陸した前日、日本人市長が抗日分子に射殺されたという事件があったとかで、ぶらぶら歩きは止められていました。ガーデンブリッヂには日本兵と外国兵の歩哨が立っていました。-略-」

原爆にあった義父……。下「」引用。

「夫の父は、仕事の打ち合わせに広島の軍管理局にいて、その原爆に遭ったのです。洋服を通してガラスの破片やらをいっぱいに受けて、全身血まみれになって路傍の屍を踏み越えて、鉄路づたいに尾道まで逃げ出し、一時は死ぬかと思ったがもう大丈夫という便りもありました。」

だが、亡くなられたようだ。下「」引用。

「だが、そのときは原爆で亡くなった夫の父の葬儀が田舎であって以来の対立である。」

当時、民芸の多くの人が共産党に入党したようだ……。下「」引用。

「民芸のみんなが共産党に入るとき、すんなりと一緒に入党できない私です。」

原民喜のことが書かれてあった……。下「」引用。

「夫の仲間に原民喜さんという作家が居た。「夏の花」という原爆の広島を描いた素晴らしい詩情の作品を発表して、夫と一緒に水上賞を受けていた。-略-
 原さんが遊びに来ると、私は乏しい家計の中から焼酎を買った。しかし原さんは、私の顔をまともに見たこともなければ話しかけてくれたこともない人であった。-略-
 原さんが帰ったあとで、「原さん夕御飯でもあがって行けば良いのに」というと、「へんな人だよ、クロッカスが咲いたので、小鉢に植えて持って行くようよ言ったら、有難うと嬉しそうに言っておいて、あっさりと忘れていったよ。オレは明日とどけてやるよ。花でもなきゃやり切れない部屋なんだ。原さんの部屋は、それに原さんに花を押しつけたいんだ」と、そんなことを言っていた。一緒にいてもあんまりお喋りもしない、変な友情を私は批判したりしていた。」

そして、原民喜自殺……。下「」引用。

「 翌朝、まだ暗いうちに、原さんが自殺したという知らせがとどいた。寝坊な夫が、ガバッと飛び起きて息を切らせてかけていった。私もあとから駅の方にさがしに行った。花屋で花を買って、線路のとろこに行ってみると、むしろをかけた原さんの死体が横たわっていた。私はその横にそっと花を置いた。-略-
 その足で原さんの下宿へ行った。原さんの部屋からは、原さんの自殺した線路の場所が真直に見えた。原さんはそこに立って、いつも線路を見ていたという。
“私は歩み去ろう 今こそ消え去って行きたいのだ
 透明のなかに 永遠のかなたに”
 そんな言葉が机上に書いてあった。
 夫に対する遺書には、ユーモラスな筆致で蔵書を形見に贈ることが書いてあった。」

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ヒロシマ関連の映画にも出演されています。

シナリオ ヒロシマの証人











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