磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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原爆が残した子ら

2009年02月25日 | 読書日記など
『原爆が残した子ら』
   きのこの会/渓水社1977年、1984年2刷

原爆小頭症の人たちの写真が掲載されています。
--やはりABCCのことが書かれてあります。



ABCCについて。下「」引用。

「ABCCへは早くから連れて行かれてたが、忘れもしない、昭和二十九年、本通りのアーケードが雪で落ちた日に、アメリカからテレビ局の人が来て、被爆者をあらゆる角度から撮って帰り、専門家にみせることなっているから、この機会を逃さないようにといわれ、仕事を半日休んでヒロシをつれてABCCへ行った。大きな見慣れぬ機械がいっぱい並んでいて、大人のわたしでも胸がドキドキするほどのものものしいものだった。小さなヒロシは機械と機械の間にまるで埋まってしまったみたいだった。それからしばらくして、ABCCから使いの人が来て、千円を渡して帰った。わたしは偉い先生に診てもらえば何かわかるかもしれないという期待があったから行ったのに、それについて何の音沙汰もなく、千円を出せばそれで片がついたようなABCCの多度に無精に腹が立った。-略-そのうち、ABCCと決定的に手をきる時がきた。八、六の前、多分七月の末頃だったろうと思うが、ABCCから四人の男がやってきた。-略-」

成績表をみせろというものだった。そのやり取りをみていた客が泣いたという。

子を守るために、ケンカ師となっていったという……。下「」引用。

「この事件をきっかけに、ヒロシが大きくなっていくにつれて、わたしはヒロシのことですっかり喧嘩師になってしまった。今のような社会で、不具の子をかかえて生きて行くためには、誰もが喧嘩師になってでもがむしゃらに権利を主張しながら生きていくことこそ、子供の幸福につながるものだと最近しみじみと感じるようになった。-略-」

ABCC……。下「」引用。

「一カ月ばかり前、長崎医大で研究発表か何か、学会がありました由で、そのとき東邦大学の先生が「子供に会いたいとおっしゃられるので」と、ABCCの人が相談にみえました。そこで正信の仕事を半日休ませました。診察して下さったようですが、長崎医大のほうからは何の通知もございません。」

百合子の父、米軍へ手紙。ABCCの日本人ケースワーカーがやってきたという。下「」引用。

「私は米軍基地の司令官に百合子を保証してくれ、と言ったのではなく、本国政府に私の手紙を伝えてほしいと頼んだのだ。ABCCに回すのだったら、何も岩国の基地司令官に国三は手紙を出しはしない。ともあれ、米国政府の意を汲んだ基地司令官が原爆投下に対して責任を回避している事だけは間違いない。
 それから数日後、ABCCの医療ケースワーカーである児玉あきさんがジープに乗って来宅された。「施設に百合子さんを入れるつもりがあればお世話しよう」と言う。私が基地司令官を通して出した手紙への回答とはおよそ縁遠い話だ。私は百合子を施設へ入れようとは思っていないので、せっかく来てもらっても私としては何の得るところもなく、儀礼的にただ先方の話を聞いただけだった。児玉さんが「小頭症はなにも原爆ばかりにはよらない。普通の場合でも生まれるので、百合子さんが原爆で小頭症になったとは言い切れない」と強調するのだけが妙に記憶に残った。そのことは米国政府の調査機関であるABCCが原爆の被害をひた隠しにするために用いる常套手段で、ABCCの職員である児玉さんが、もっともらしくそれを強調する姿は、同じ日本人として腹立たしくさえ感じられた。」

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「ヒロシマ会議」のメンバーは豪華だったという。下「」引用。

「昭和四十五年十一月二十九日から十二日までの四日間、広島で「現代における平和への条件」を主題として「ヒロシマ会議」が開催されるという。世界の有名な学者があいつどう予定で、名誉会長には山田節男広島市長、代表委員には相原和光、原田東岷、飯島宗一、岡咲恕一、庄野直美の各氏、招待されるのは湯川秀樹、朝永振一郎、ノエルベーカーら最高の先生方である。」

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