『日本製原爆の真相』
山本洋一・著/創造1976年
この本で印象に残ったのは二つあります。一つは民間であった著者が軍部に組み込まれたこと。もう一つは、高松宮、三笠宮が原子爆弾に興味をもっておられたことである……。
無駄であったとアメリカは後悔しただろうという著者。下「」引用。
「日本の戦力の実際は、アメリカの思ったほどではなく、海上封鎖と空襲だけでも、日本は降伏したかもしれない状態であった。
原子爆弾を使用して日本を降伏させたことは、むしろアメリカとしては軍事的には損をしている。ソ連・中共との対立をおこしている今日において、アメリカは日本に原子爆弾を落としたのは無駄であったと、かえって後悔しているのではないかと私は思う。」
学界の長老であった長岡半太郎博士も、原爆については批判的であったという。下「」引用。
「『軍事と技術』という雑誌の昭和十九年十二月号に『原子核分裂を兵器に利用する批判』と題した文章の中で書いている。(本文一一九頁参照)」
技術と科学という著者の論は興味深いと思う。下「」引用。
「科学において、日本は外国にくらべて必ずしも劣ってない。航空機にしても当時の神風号・ニッポン号は、世界記録をうちたてた。けれども、優秀な航空機がつくられたというだけでは、これは科学であって技術ではない。可能性の発見が科学である。その発見された可能性の実現が技術である。必要なときに、必要な数の航空機ができなければ航空技術とはいえない。」
陸軍技術少佐当時の著者
著者は日本化成から軍へ。下「」引用。
「昭和三年三月に、東京帝大理学部物理科を卒業した私は、さらに、工学部の大学院にて金属学を改究
、昭和五年四月から財団法人理化学研究所で、金属の腐蝕と防触の研究に従事した。そして昭和十五年七月に現在の三菱化成、当時の日本化成工業株式会社の研究所の技師となったが、昭和十六年九月、太平洋戦争のおころとする直前に、兵器の防触の研究に従事する方が、日本のためになるというすすめもあって、陸軍技術本部第八研究所に入って技師となった。」
そして、陸軍技術本部第八研究所は、編制替えによって、陸軍兵器行政本部第八陸軍技術研究所。
兵器用の資源と材料の関係をとりあつかったという。
林産工業株式会社常務取締役桐原渉氏が、ウラニウム鉱と称するものを提供され、放射能の有無とウラニウム鉱有量の分析を、東京帝大理学部化学教室木村博士および理化学研究所の飯盛博士の依嘱の手続をしたのが著者であったという。
しかし、それにはウラニウムは含有してないかったという。
昭和19年6月に、三笠宮が南方より燐灰ウラン鉱をもって帰られ、理化学研究所の飯盛博士に鑑定依頼。
--それはただの長石(ちょうせき)であった。
昭和19年6月から、は原爆製造に関する研究にとくに力を入れるようになった。
--それは高松・三笠の両宮殿下の御希望であったという。
--軍服を着せられた科学技術者。下「」引用。
「わが国における技術、建技、軍医、薬剤、獣医の、所謂技術関係の各部将校なるものは、戦いを本職する軍人が科学技術者になったのではない。科学技術者が軍服を着せられたものなのである。」
--ほかの本ですが。
アメリカのマンハッタン計画でも、軍部はオッペンハイマー博士などに軍服を着せようとしたが、科学者たちは反対したという。
--「研究は命令では出来ない」という。
ムリヘンにゲンコツでは、研究はできないとボクも思います。
デカダンスに警戒しろ! と書いておられます。下「」引用。
「科学者といえども科学のすべてを通じているわけのものではない。科学ならなんでも知っていると思えば、それは科学者のデカダンスであり、どんなに一般の人を誤らせることにならないともかぎらない。科学者のデカダンスは文学者のそれよりも世の中に災いをもたらすことが大きい。
日本の科学者の中でも、世におえらがたといわれる方に、デカダンスがあることを、わたしどもは自ら反省するとともに警戒したいと思う。」
いつものことには注意をはらって欲しいとボクも思います。
これはアメリカもそうだと思います。役にも立たないミサイル防衛……。
原爆もまた、真には役立たなかったようです……。
役に立ったと思っておられる方はおそらく、『原爆神話』を信じておられると思います。
index
このことも、別の言い方をすれば頽廃した思想だったようです……。
昭和天皇が原爆開発を止めたというのも、この本で、その可能性は高まったと思います。
日本の原子爆弾開発【goo wikipedia】
INDEX
山本洋一・著/創造1976年
この本で印象に残ったのは二つあります。一つは民間であった著者が軍部に組み込まれたこと。もう一つは、高松宮、三笠宮が原子爆弾に興味をもっておられたことである……。
無駄であったとアメリカは後悔しただろうという著者。下「」引用。
「日本の戦力の実際は、アメリカの思ったほどではなく、海上封鎖と空襲だけでも、日本は降伏したかもしれない状態であった。
原子爆弾を使用して日本を降伏させたことは、むしろアメリカとしては軍事的には損をしている。ソ連・中共との対立をおこしている今日において、アメリカは日本に原子爆弾を落としたのは無駄であったと、かえって後悔しているのではないかと私は思う。」
学界の長老であった長岡半太郎博士も、原爆については批判的であったという。下「」引用。
「『軍事と技術』という雑誌の昭和十九年十二月号に『原子核分裂を兵器に利用する批判』と題した文章の中で書いている。(本文一一九頁参照)」
技術と科学という著者の論は興味深いと思う。下「」引用。
「科学において、日本は外国にくらべて必ずしも劣ってない。航空機にしても当時の神風号・ニッポン号は、世界記録をうちたてた。けれども、優秀な航空機がつくられたというだけでは、これは科学であって技術ではない。可能性の発見が科学である。その発見された可能性の実現が技術である。必要なときに、必要な数の航空機ができなければ航空技術とはいえない。」
陸軍技術少佐当時の著者
著者は日本化成から軍へ。下「」引用。
「昭和三年三月に、東京帝大理学部物理科を卒業した私は、さらに、工学部の大学院にて金属学を改究
、昭和五年四月から財団法人理化学研究所で、金属の腐蝕と防触の研究に従事した。そして昭和十五年七月に現在の三菱化成、当時の日本化成工業株式会社の研究所の技師となったが、昭和十六年九月、太平洋戦争のおころとする直前に、兵器の防触の研究に従事する方が、日本のためになるというすすめもあって、陸軍技術本部第八研究所に入って技師となった。」
そして、陸軍技術本部第八研究所は、編制替えによって、陸軍兵器行政本部第八陸軍技術研究所。
兵器用の資源と材料の関係をとりあつかったという。
林産工業株式会社常務取締役桐原渉氏が、ウラニウム鉱と称するものを提供され、放射能の有無とウラニウム鉱有量の分析を、東京帝大理学部化学教室木村博士および理化学研究所の飯盛博士の依嘱の手続をしたのが著者であったという。
しかし、それにはウラニウムは含有してないかったという。
昭和19年6月に、三笠宮が南方より燐灰ウラン鉱をもって帰られ、理化学研究所の飯盛博士に鑑定依頼。
--それはただの長石(ちょうせき)であった。
昭和19年6月から、は原爆製造に関する研究にとくに力を入れるようになった。
--それは高松・三笠の両宮殿下の御希望であったという。
--軍服を着せられた科学技術者。下「」引用。
「わが国における技術、建技、軍医、薬剤、獣医の、所謂技術関係の各部将校なるものは、戦いを本職する軍人が科学技術者になったのではない。科学技術者が軍服を着せられたものなのである。」
--ほかの本ですが。
アメリカのマンハッタン計画でも、軍部はオッペンハイマー博士などに軍服を着せようとしたが、科学者たちは反対したという。
--「研究は命令では出来ない」という。
ムリヘンにゲンコツでは、研究はできないとボクも思います。
デカダンスに警戒しろ! と書いておられます。下「」引用。
「科学者といえども科学のすべてを通じているわけのものではない。科学ならなんでも知っていると思えば、それは科学者のデカダンスであり、どんなに一般の人を誤らせることにならないともかぎらない。科学者のデカダンスは文学者のそれよりも世の中に災いをもたらすことが大きい。
日本の科学者の中でも、世におえらがたといわれる方に、デカダンスがあることを、わたしどもは自ら反省するとともに警戒したいと思う。」
いつものことには注意をはらって欲しいとボクも思います。
これはアメリカもそうだと思います。役にも立たないミサイル防衛……。
原爆もまた、真には役立たなかったようです……。
役に立ったと思っておられる方はおそらく、『原爆神話』を信じておられると思います。
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このことも、別の言い方をすれば頽廃した思想だったようです……。
昭和天皇が原爆開発を止めたというのも、この本で、その可能性は高まったと思います。
日本の原子爆弾開発【goo wikipedia】
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