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教科書に書かれなかった戦争Part 12 大陸の花嫁-「満州」に送られた女たち-

2009年01月29日 | 読書日記など
『教科書に書かれなかった戦争Part 12 大陸の花嫁-「満州」に送られた女たち-』
   陳野守正・著/梨の木舎1992年

美名に弱い日本人……。下「」引用。

「日本人は美名に弱い。国策、五族協和、王道楽土、東洋平和のため、お国のため、拓け満蒙……こうした美名に当時の女性たちはこころ沸き立つ思いだったという。」

これには、作家も戦争協力していた……。



--ニュースで知った大陸の花嫁。
「生活の貧しさ」から抜け出したかったという……。

勤奉隊……。下「」引用。

「満州建設勤労奉仕隊(以下勤奉隊)の発足は、一九三九年(昭和14)文部省が高等専門学校以上の学生を満州、中国に派遣し、開発研究や建設奉仕にあたらせることにはじまる。その後農業学校隊を試験的に参加させた。
 勤奉隊は開拓生産班、開拓応援作業班、米穀増産班などに分かれていた。建前は「勤労を通じて満州国家の真義を理解させる」ものであったが、本音は満州開拓の理解、食糧増産にあった。」

女子勤奉隊は花嫁候補だったという……。下「」引用。

「女子勤奉隊は、青年学校に学ぶ乙女たちであった。それゆえ、食糧増産を目的としながらも、関係者は大陸の花嫁候補をも意図していたに違いない。事実、勤奉隊として渡満したことがきっかけで大陸の花嫁となった女性たちがいた。
 大陸の花嫁のかげに隠されている女子勤奉隊の存在を、見落としてはならない。」

--「主婦之友」特派員 古屋信子の記録
1940年10月号「主婦之友」
古屋信子氏の「満州大陸の土に生くる人々」が十五頁にわたり掲載。下「」引用。

「古屋信子氏は最後に「印象の決算」として、「内地のインテリ層が、満州開拓について懐疑的批判的精神を持つ前に、民族進出の可能の、ロマンチックな理想と熱情を持つべきこと、それなしに開拓民の理はできないことを覚(さと)った。内地の者たちのすべては、その人たちわ、日本民族の、日満をつなぐくさびの大使命の代表者として、大陸に行って戴きたいと思って、できるだけの応援声援を惜しまぬ心でいてほしい」とのべている。」

開拓民の根こそぎ召集と動員。下「」引用。

「結果的には開拓民の根こそぎ召集と動員は無意味であった。そればかりか、開拓団は関東軍に往復ビンタをくらったようなものである。関東軍は満州放棄作戦を開拓団には知らせず、逆に、放棄地帯に開拓団を残存させることで敵の目をあざむき、その間、後退した地域の陣地構築の時間をかせぎを行なったからである。」

--「3 中国人の恨みと憤懣の爆発」
「日本人による土地収奪」

--「土地を奪われた朝鮮人へのアンケート」

集団自決とは皆殺し……。下「」引用。

「名は集団自決でも客観的に見ると、子どもや母親たちが、男たちに銃で撃たれ、刀で刺されて殺されたことである。時には毒薬を飲み、その後で建物に火をつける手段などもとられた。なかには死にたくない人、恐ろしくなった人たちもおり、その場から逃げ出した。すると銃や日本刀を持った警備員などの男たちが追いかけてきて殺した。逃げ出した二人の子どもは立ち止まって「かんにして」と叫んだ瞬間に撃ち殺された。
 以上のように集団自決は皆殺しを意味する。」

ソ連兵……。下「」引用。

「--引揚げ記録には、ソ連兵が女性に暴力をふるったとの記事が多いですね。」

ソ連兵と慰安婦……。下「」引用。

「また引揚げるとき、ソ連兵が女を出せ、そうでないと列車を出さないと。そのとき水商売をしていた人がいて、開拓団からも「もう一度犠牲になってくれ」と、その人たちのうち何人かが強く頼まれて行ったそうです。毎日、ソ連兵がいたずらをしたそうです。その人たちのお陰で避難民たちはチチハルに脱出できたのです。」

その「慰安婦」というのは……。下「」引用。

「長野県の矢沢姈さんは、「私たちの中には、日本軍の慰安婦たちがいて、私たちに代わってソ連兵のところへ行ってくれました。ありがたくて拝みました。慰安婦の中には朝鮮人、台湾人、中国人もいました」と語った。」

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いけにえ……。下「」引用。

「元大陸の花嫁の一人は、幹部の一人が「たのむ、皆の為なんだ、頼む」といいながら「牛舎の柱に泣きながらしがみついている女性を柱からもぎとろうとする……」と、女をいけにえにする男の行為を書きとめている。
 ソ連兵だけに限らなかった。村を通過しなけばならないとき、人質を出した。何人かの「いけにえ」を提供してを通過させてもらった。そのときいけにえとされたのが最初に水商売をしていた人、そのつぎに未亡人、夫が出征した人であったという。なかには幹部が自分の家族を提供した場合もあった。」

「いけにえ」出さなかった団長……。下「」引用。

「こうしたなかで女性を提供しなかった団長もいたことを記しておかねばならない。
 通北駅前の実験場に、乗車できるかどうか各団から情報をさぐり集まって来る中に、老街基の出井菊太郎団長が来ていて、私と論争になった。
 出井「堀団長は南下しないんですか」
 堀「私はしません。団員の応召家族をソ連に提供してまで南下しても、生活困難はどこでも同じですから」
 出井「堀さんは無抵抗であれば平和が存在すると言うが、私は否定します」
 堀「出井団長さん、『平和』とは殺されないという意味です。『生きられる』という意味です。団長として、婦人をソ連軍に提供して南下したのでは、もし生きて帰国できたとしても、一生恥をかくでしょうよ」
 堀氏は、治安維持会を訪問すると「南下しません」と言明した。(堀忠雄氏は五福堂開拓団の団長であった。『満拓回想記』第六集一九八六)」

「あとがき」に書かれてあります。下「」引用。

「本書では「残留婦人」「八路軍に参加した大陸の花嫁」など、大陸の花嫁の戦後まで触れることはできなかった。」






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