『ドキュメンタリー原爆遺跡-ヒロシマの子の爆心地レポート-』
広島高校生平和ゼミナール、他・編/
山田梅雄、萱野勝美・写真/平和文化1988年
先生たちの力が大きい本だとボクは思います。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/65/49c9379a6a5b02e86d8e6de65267c60d.jpg)
「刊行によせ」日本平和教育研究協議会代表委員 森田俊男・著。下「」引用。
「-略-日本の場合、首相や重要な閣僚諸氏が、古びた「歴史見直し」論(大東亜戦争肯定論、「東京裁判」否認論など)をもちだし、国内で歴史学者や教職員などの手きびしい批判をうけながら、その声(民族の歴史の真実を知り、責任をにない、再び誤ちをおかさないという自覚をよびかけるもの)に耳をかさず、中国などアジア諸国の政治家、ジャーナリストなどの批判に、しぶしぶ(あわてて)ひっこめるという“情ない国”になっている(某閣僚は、自らの反動的「歴史見直し」論を批判されるや、日本は中国の首脳の言葉にひきまわされる「情ない国」であるといった)。
もっとも、侵略戦争の責任を棚あげして、その統治の永遠になることを祈念させる歌を「国歌」として子どもたちに奉唱させることで「世界の中の日本人」を育てる(臨教審第四次答申)-略-」
ならず者・サッチャーの暴言……。下「」引用。
「さて、ここでもう少し西ドイツの場合をみよう、というのは、英首相サッチャーがこの春、西ドイツは、「INF全廃後の核兵器『近代化』(新しい短射程小型核の配備)を受け入れるべきた」、そのために「核戦争の最初の犠牲になってもしかたがない。ドイツ人はナチスの犯した責任を負わねばならないのだから」、といい放ったからです。「民族の過去を深く心に刻み、責任を負っていこう」とよびかけつづけるヴァイツゼッカー大統領と多くのドイツ国民の良心的な歴史認識を逆手にとって、新しい核戦略と最初の犠牲を押しつける、というサッチャーの歴史観は、過去の誤りを認めず、あるいはあいまいにしたまま、「最初の被爆国」をいいつつ、核抑止論にしがみついて、この祖国の島々と海を核戦略基地に化すことを認めるわれわれの政府首脳の歴史観とともに許されるものではありません。-略-」
INDEX
わがくには唯一の被爆国といいながら、核戦争の戦場「日本列島を不沈空母」に中曽根康弘たちはした……。
《ヒロシマの事実》……。下「」引用。
「自然・時はいや応なしに《ヒロシマの事実》を消し去ります。それ以上に《ヒロシマの真実》とその継承を怖れるこの国の政治・経済のもとで、「繁栄」のなかにのみこまれ、忘れられ、移され、消されていきます。いまこそ、記録し、保存して、語り継いでいかねばなりません。
この書は、そのための仕事ですが、多くの読書をえて、多くの人びとの力で《ヒロシマの真実》の発掘・学習・記録と保存が、ひとつの国民的事業にまでなっていくなら、時代錯誤の「歴史の見直し」をのりこえ、新しい歴史--核のない日本と世界を切りひらくことに向かうわけです。-略-」
■目次・主なものだけ■
第一章 被爆樹の記録 65
第二章 爆心構造物の記録 83
第三章 川と橋と記録 117
第四章 寺と社の記録 135
第五章 旧軍全滅の記録 165
調査を終えて--高校生の感想 193
あとがき 195
「樹木の被害状況」下「」引用。
「「原子爆弾災害調査報告書」(一九五三年日本学術会議・文部学術研究会議)によれば、一九四五年から五○年にわたる調査観察の結果、原爆が食物に与えた影響については、次のようなことが明らかにされている。
1 熱線の影響がもっとも大きく、植物の枯死はおおむねこれによる。爆心地から五七○○メートルの地点においても葉は火傷を起こしている。また、竹の焼痕から判断すると、その範囲は七○○○メートル以上にも及んだ。
2 爆心地から半径五○○メートル以内にあった樹木はすべて枯死。幹は黒くこげ、枝は折れ、根もとら倒れたものがほとんどであった。
3 爆心地から七○○メートルあたりの樹木の葉はすべて焼失。爆心側に面した幹や枝は黒くこげ、枯れた。
4 一○○○メートル以内の樹木の大多数は、数カ月あるいは数年後に樹勢が衰え、枯死した。
5 爆心地から一○○○~二○○○メートルの範囲内の樹木は、熱線によって枝・幹の爆心側がこげたが、マツなどの針葉樹をのぞいた、すべての樹木が生存したことが特徴である。
6 爆心地から距離を隔てた樹木は、爆心側だけが焼け、その反対側は健全である場合が多い。しかも、生き残った側の方から傷口をおおうように組織が盛り上がり、樹勢を回復した木々が多い。樹木によっては、爆心地側の枝がまったくなく、その反対側に枝が繁るようになったものも珍しくない。
7 爆風のため相当の距離まで倒木折損の被害が出た。」
もくじ
中沢啓治のことが書かれてあった……。下「」引用。
「なお、中沢啓治氏の『はだしのゲン』に出てくる小学校は本川小学校である。中沢氏は、「本川小では何一つ楽しい思い出がない」と語っているが、子どもたちは、「原爆が落されなかったら、戦争がなかったら、中沢さんにも本川小でよい思い出ができたでしょう」と、小さな胸を痛めつつ、二度とあのようなことにならぬようにと、決意を強くしている。」
INDEX
吉永小百合の文章……。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/a8/3b5ab19f1094729a56090bfabed2d48a.jpg)
サユリストのタモリもがんばってくれたらいいのだが、多ムリでしょう……。
index
もくじ
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index
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広島高校生平和ゼミナール、他・編/
山田梅雄、萱野勝美・写真/平和文化1988年
先生たちの力が大きい本だとボクは思います。
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「刊行によせ」日本平和教育研究協議会代表委員 森田俊男・著。下「」引用。
「-略-日本の場合、首相や重要な閣僚諸氏が、古びた「歴史見直し」論(大東亜戦争肯定論、「東京裁判」否認論など)をもちだし、国内で歴史学者や教職員などの手きびしい批判をうけながら、その声(民族の歴史の真実を知り、責任をにない、再び誤ちをおかさないという自覚をよびかけるもの)に耳をかさず、中国などアジア諸国の政治家、ジャーナリストなどの批判に、しぶしぶ(あわてて)ひっこめるという“情ない国”になっている(某閣僚は、自らの反動的「歴史見直し」論を批判されるや、日本は中国の首脳の言葉にひきまわされる「情ない国」であるといった)。
もっとも、侵略戦争の責任を棚あげして、その統治の永遠になることを祈念させる歌を「国歌」として子どもたちに奉唱させることで「世界の中の日本人」を育てる(臨教審第四次答申)-略-」
ならず者・サッチャーの暴言……。下「」引用。
「さて、ここでもう少し西ドイツの場合をみよう、というのは、英首相サッチャーがこの春、西ドイツは、「INF全廃後の核兵器『近代化』(新しい短射程小型核の配備)を受け入れるべきた」、そのために「核戦争の最初の犠牲になってもしかたがない。ドイツ人はナチスの犯した責任を負わねばならないのだから」、といい放ったからです。「民族の過去を深く心に刻み、責任を負っていこう」とよびかけつづけるヴァイツゼッカー大統領と多くのドイツ国民の良心的な歴史認識を逆手にとって、新しい核戦略と最初の犠牲を押しつける、というサッチャーの歴史観は、過去の誤りを認めず、あるいはあいまいにしたまま、「最初の被爆国」をいいつつ、核抑止論にしがみついて、この祖国の島々と海を核戦略基地に化すことを認めるわれわれの政府首脳の歴史観とともに許されるものではありません。-略-」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/65/3ce9fc890e202100fe2eba711d1991ca.jpg)
わがくには唯一の被爆国といいながら、核戦争の戦場「日本列島を不沈空母」に中曽根康弘たちはした……。
《ヒロシマの事実》……。下「」引用。
「自然・時はいや応なしに《ヒロシマの事実》を消し去ります。それ以上に《ヒロシマの真実》とその継承を怖れるこの国の政治・経済のもとで、「繁栄」のなかにのみこまれ、忘れられ、移され、消されていきます。いまこそ、記録し、保存して、語り継いでいかねばなりません。
この書は、そのための仕事ですが、多くの読書をえて、多くの人びとの力で《ヒロシマの真実》の発掘・学習・記録と保存が、ひとつの国民的事業にまでなっていくなら、時代錯誤の「歴史の見直し」をのりこえ、新しい歴史--核のない日本と世界を切りひらくことに向かうわけです。-略-」
■目次・主なものだけ■
第一章 被爆樹の記録 65
第二章 爆心構造物の記録 83
第三章 川と橋と記録 117
第四章 寺と社の記録 135
第五章 旧軍全滅の記録 165
調査を終えて--高校生の感想 193
あとがき 195
「樹木の被害状況」下「」引用。
「「原子爆弾災害調査報告書」(一九五三年日本学術会議・文部学術研究会議)によれば、一九四五年から五○年にわたる調査観察の結果、原爆が食物に与えた影響については、次のようなことが明らかにされている。
1 熱線の影響がもっとも大きく、植物の枯死はおおむねこれによる。爆心地から五七○○メートルの地点においても葉は火傷を起こしている。また、竹の焼痕から判断すると、その範囲は七○○○メートル以上にも及んだ。
2 爆心地から半径五○○メートル以内にあった樹木はすべて枯死。幹は黒くこげ、枝は折れ、根もとら倒れたものがほとんどであった。
3 爆心地から七○○メートルあたりの樹木の葉はすべて焼失。爆心側に面した幹や枝は黒くこげ、枯れた。
4 一○○○メートル以内の樹木の大多数は、数カ月あるいは数年後に樹勢が衰え、枯死した。
5 爆心地から一○○○~二○○○メートルの範囲内の樹木は、熱線によって枝・幹の爆心側がこげたが、マツなどの針葉樹をのぞいた、すべての樹木が生存したことが特徴である。
6 爆心地から距離を隔てた樹木は、爆心側だけが焼け、その反対側は健全である場合が多い。しかも、生き残った側の方から傷口をおおうように組織が盛り上がり、樹勢を回復した木々が多い。樹木によっては、爆心地側の枝がまったくなく、その反対側に枝が繁るようになったものも珍しくない。
7 爆風のため相当の距離まで倒木折損の被害が出た。」
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中沢啓治のことが書かれてあった……。下「」引用。
「なお、中沢啓治氏の『はだしのゲン』に出てくる小学校は本川小学校である。中沢氏は、「本川小では何一つ楽しい思い出がない」と語っているが、子どもたちは、「原爆が落されなかったら、戦争がなかったら、中沢さんにも本川小でよい思い出ができたでしょう」と、小さな胸を痛めつつ、二度とあのようなことにならぬようにと、決意を強くしている。」
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吉永小百合の文章……。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/a8/3b5ab19f1094729a56090bfabed2d48a.jpg)
サユリストのタモリもがんばってくれたらいいのだが、多ムリでしょう……。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/97/c8981a223fba1c045bb51cdd809136ab.jpg)
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