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朝永振一郎著作集11 量子力学と私

2008年06月04日 | 読書日記など
『朝永振一郎著作集11 量子力学と私』
   朝永振一郎・著/山口嘉夫・解説/みすず書房1983年

朝永博士は自らの才能よりも、物理学の変革期と把握されているようでもある……。

1925年が新量子力学がはじめられた年のようです。下「」引用。

「新量子力学の口火がつけられたのは一九二五年だった。そういうわけで本号は「量子力学五十年」という特集なるそうだ。事実ドゥ・ブロイが「位相波」の考えを提案したのも、ハイゼンベルクが「運動学力学量の量子論的解釈がえ」という新しい着想を発表したのもこの年であった。そしてこの着想は、一方でマトリックス力学に発展し、他方でディラックの量子代数にまとめられ、翌一九二六年にはドゥ・ブロイ波に対する基礎方程式がシュレーディンガーによって発見され、ここに新量子力学の形式は完成した。」

そして、後に朝永博士の恩師になるハイゼンベルクが来日。下「」引用。

「長岡先生が日本の学者を評して欧米学者の糟粕をなめるのみといわれたとか。一九二九年にハイゼンベルクとディラックが来日し、量子力学に関する本邦最初の本格的講義を行なったが、それらの記録(啓明会紀要第十一号、量子論諸問題)の序文で仁科先生は次のようにいってられる。「筆者は往々にして吾国の或る部門の科学者が欧米先進の糟粕を嘗めるに過ぎぬという非難を聞くが、思うに吾が学界が地理的関係上其進歩の潮流に乗り後れるという事も亦一因をなすものではなかろうか云々」。」

講義の内容についても書かれてありました。
--当時の最先端だったという。

理化学研究所についても書かれてありました。
--第1次大戦後にできたという。
大学の閉鎖性を打破しようとしたという。
--京大と理研の二枚看板の木村正路。
東北大と二枚看板の本多光太郎がいたという。

東大のハイゼンベルクの講義も、理研だったので誰でも聴けたという。


マトリックス力学(行列力学)ポジトロン(陽電子)についても書かれてありました。

「戦時中の思い出」というタイトルで。下「」引用。

「お腹が空いたせいか、それとも気分が落ちつかなかったせいか、多分、気分が落ちつかなかったせいじゃないかと思うんですけれども--戦争中のことはあまりよく覚えておりません。」









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