磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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秘録進駐軍慰安作戦 昭和のお吉たち

2009年06月17日 | 読書日記など
『秘録進駐軍慰安作戦 昭和のお吉たち』
    鏑木清一・著/番町書房1972年

「序」菅原通済・著。下「」引用。

「我々の先輩は、ふだれ、たたかれ、八十年。そして勝ちとったのが公娼制度廃止である。
 然るに、マッカーサー司令部は、公娼に変るに、赤線という、エタイの知られぬものを、半ば公然と認めることになってしまった。
 結果は、昔にもまして、吉原、島原にも売女から搾取する赤線、青線の出現なったのである。敗戦のみじめさが如何に絶大だったか、せっかくの男女同権の新憲法も無視されることになってしまった。
 昭和三十年、鳩山一郎首相の切なる願いを入れ、売春対策審議会の会長に就任した。-略-
 この著は、占領時代の売春の悲惨さと、愚かさをよく物語っている。是非一読をすすめたい。(三悪追放協会会長)」

「まえかぎ」 下「」引用。

「-略-筆者は当時「RAA」の情報課長として、これら唐人お吉たちを知る一人であるが、いま一度終戦時のきびしい状況を識らしめし、昭和元禄を謳う現代の警鐘としたいと思う。
  昭和四十七年二月 鏑木清一」

古今東西であることだというが……。下「」引用。

「有名なバルカン戦争の昔から勝利者の奢りというか古今東西いつの時代の戦争にも、占領軍兵士の婦女子に対する強姦暴行はつきもので、戦争に女の悲劇を絶たない。」

古今東西に倫理もあるだろう……。

警視庁からの指令だったという……。下「」引用。

「警視庁から“女の防波堤”を作れと指令をうけ、その責任者となった東京料飲組合宮沢浜治郎は早速各団体の代表を“幸楽”に集めて言った。
「敗戦後の人心の混乱を防ぎ、治安を防るため、私心をすててこの国家の要請に応えようではないか」 
 この宮沢組合長は、上野の中華料理店“五十番”の経営者だがね、なかなかの大人物で、彼の手腕力量がなければ、うるさ方の多い各種団体業者を纏めて統率することは至難なことで「RAA」の設立に当たって彼の功績は大であった。」

銀座街頭で売春婦募集……。下「」引用。

「政府から取りあえず三千万円の融資をうけ、警視庁から慰安婦募集の黙認と後援、そして東京都から必需物資の優先配給をうけるという、当時としては大変な権限をもってスタートしたRAAは、さっそく銀座通りにの大看板を掲げて女の大募集に着手した。
 大看板にいわく「新日本女性に告ぐ。戦後処理の国家的緊急施設の一端して進駐軍慰安の大事業に参加する新日本女性の率先協力を求む。ダンサーおよび事務職員募集。年齢十八歳以上二十五歳までる宿舎、被服、食糧全部支給」と書かれて大看板の前は道行く人々の足を釘づけにして、たちまち山のような人だかりであった。」

防波堤? 人権は? 下「」引用。

「以上の各店の開店準備が二十七日、協会幹部の昼夜にわたる奮闘ぶりは大変なもので京浜地区に慰安序の主力をおいたのは、進駐軍が主として京浜地区にまず“セックスの防波堤”をつくって、彼等の直撃的な勢力を阻止しようという狙いであった。」


京浜国道のスズナリ米兵……。下「」引用。

「「ヘイッ! オープン、オープン!」
 朝まだきの京浜国道にずらり行列をなした白黒の米兵たちは、片手に百円札を振りかざし、回転せまって一斉に吠えいた。」

「RAAの終末」……。下「」引用。

「強制検診制度も性病に対して、無力であることを知ったGHQは、遂にRAA所属のすべての慰安序に、将兵が立入ることをを厳禁するねという、RAAの患部は驚きと同時に、本格的事業に着手しようとした時期だけに大打撃であった。
 それでも将兵のせいに対する欲求は激しく、RAAの慰安所にもぐりこむ者があとを絶たないので、GHQは三月十日、RAA所属の施設に“オフリミット・VD”の黄色い標識を掲げたのである。
 立入り禁止、VD“性病地帯”と明記したのである。
 この禁止令によって、RAAはもろくも崩壊してしまった。」



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