磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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昭和史1945-----1989 戦後篇

2007年05月23日 | 読書日記など
『昭和史1945-1989 戦後篇』
   半藤一利・著/平凡社2006年

いろいろなことが書かれてあります。今とはイメージも違うことも書かれてあります。



当時十五歳、中学三年生だった著者。下「」引用。

「私自身は、アメリカ軍が来て占領したら、南の島のどこかで一生奴隷になるんだと教えられていました。」


RAAは、なんと終戦三日後! 下「」引用。

「いわゆる「良家の子女」たちになにごとが起こるかわからないというので、その“防波堤”として、迎えた進駐軍にサービスするための「特殊慰安施設」をつくろということになりました。そして早速、特殊慰安施設協会(RAA)がつくられ、すぐ「慰安婦募集」です。いいですか、終戦の三日後ですよ。」


池田勇人(当時・大蔵省主税局長)はこう言われたそうです。下「」引用。

「『一億で純潔が守れるなら安い』といわれた」
 これはあくまで「良家の子女」の純潔です。」


天皇を尊敬したマッカーサー。下「」引用。

「天皇陛下がマッカーサーに「戦争責任は私にある」ということを言った記録が私の手元にあります。そして、回顧録にもあるように、マッカーサーはこの時ひどく驚き、心の底から感動したようです。戦争に敗けたどこの国の元首が、自ら訪ねてきて「自分の責任があるから身の処置は任せる」などと言うだろうかと。確かに、歴史を見れば、たいていが亡命または命乞い、責任はないと強気に出るくらいで、自分からYou may hang me.と言った例などないでしょう。マッカーサーは「この人は」と思った、と回想録にもありますし、自ら何度も語っています。つまり、占領政策スタートの基本に、天皇に対するマッカーサーの大いなる尊敬が生まれてしまったのです。そして一回目の会談が終わった時、来訪時は出迎えもしなかったにもかかわらず、彼は天皇を車に乗り込むまで見送ったというのです。」

「飢餓で“精神”を喪失した日本人」というタイトル。
今では、バブルなどで精神を失った人は多いですね……。(-_-;)

美濃部達吉も天皇崇拝? 下「」引用。

「今度は河村又助九州大教授が言います。
「いや、臣民という言葉には封建的な響きが感じられます。国民としたほうがよろしいのではないですか」
 これを聞いた美濃部先生は突然、怒り出しました。
「臣民は臣民でいいじゃないですか。御詔勅には『汝(なんじ)臣民』とある。これを変えるということは、国体を変革することにもつながりかねない」」


美濃部達吉も天皇崇拝だったように感じました。

昭和29年春、自由党の幹事長・佐藤栄作は造船汚職が明るみに。
犬養健(たける)法相が、かばい辞めるが、佐藤栄作は逮捕されず。
佐藤栄作のポケットに入ったのではなく、鳩山一郎にいったという噂。
戦後、鳩山の音羽御殿は抵当に入っていたという。
佐藤が2千万円を渡し、鳩山は自由党に戻ったという……。

憲法改正をし再軍備したかった鳩山。
選挙結果ではそれが叶わなかった。
アメリカからの押し付けとして排除するのではなく、国民の間では、平和を国是にしようという気持ちが強かったという。

日教組のことが珍しく書かれてありました。
どうして、日本は与党関係者しか非難や分析を受けないのか不思議ですね。








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