磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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ある原子物理学者の生涯

2007年10月06日 | 読書日記など
『ある原子物理学者の生涯』
  田島英三・著/新人物往来社1995年

理研の仁科博士の下で働かれていた方が書かれた本です。それだけでなく、あの重松さんの友人だそうです。

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仁科博士のことが多く書かれてありました。

仁科博士が、徴兵逃れできるように、算段までしてくれたそうです。

徴兵検査では、「ぢ」だというように指導を受けたそうです。

そして、入隊することなく、研究を続けられます。

徴兵検査では、大尉は心配してくれたそうです。
--即日帰郷とされた者で自殺する者たちが多かったからだそうです……。

アメリカの学術誌に頼って、原子核研究をしていたという。

1938年の春から、英米は、春からウランに関する論文の発表を全面的に停止。
フランスは、ただちに同調せず、核分裂の連鎖反応が可能という論文が相次いで二編発表された。

1941年1月からは、アメリカ物理学会の機関誌『フィジカル・レヴュー』は送られてもこなくなったという。

当時の貴族院議員で物理学者でもある田中館愛橘氏が貴族院で、「原子爆弾はマッチ箱の大きさで東京駅がふっ飛ぶ」と演説。

--東大の水島研究室で大爆発、助手が即死。この事件は「原子爆弾の完成近し」という見出してで、各新聞のトップ記事となったという。

--分離班は、ウランの材料と共に金沢に疎開。
4月13日、空襲で研究できなくなる……。

原爆投下の調査にいかれる著者。
長崎は広島に比較して食糧が豊かだったという。

--ICRPは笹川財団から醵金してもらっていたという。

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チェルノブイリ事故のさい、事態が落ち着いたら、被曝者の調査をしてほしいと重松に依頼。
--重松氏は、事故による放射能降下物による住民の健康障害はないと発表。

著者はこう記している。下「」引用。

「この計画の委員長は放射線影響研究所の理事長の重松逸造氏であったが、重松さんの話によるとIAEAの事務局長H・ブリックス氏初め、私を委員長にする考えであったらしい。いろいろな都合によって実現しなかったが、私にとっては自分の健康を考えるとそれは幸いであったと思っている。」

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幸い?
--チェルノブイリの被害者のことは、どう思っておられるのでしょうか?







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