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横井小楠-その思想と行動- 歴史文化ライブラリー62

2009年12月05日 | 読書日記など
『横井小楠-その思想と行動- 歴史文化ライブラリー62』
   三上一夫・著/吉川弘文館1999年

「今なぜ小楠か」  下「」引用。

「日本が近代社会への転換をめざした幕末期と、いよいよ二十一世紀を迎える現代社会とを比べた場合、「平成幕末」とも呼ばれるとおり、さまざまな類似点が見出される。一口でいえば「内憂外患」の激しく、しかも深刻な政治・社会経済情勢に見舞われたといえるわけである。
 幕末の数々の思想家によって提唱された経世論を、しっかり視野に収めながら、しかもその批判的展望のうえに立って、きわめて卓越した論策を打ち出した経世論家として、熊本藩士横井小楠を筆頭にあげることができる。」



佐久間象山。下「」引用。

「次に佐久間象山については、ペリー来航に先立ち、鎖国攘夷の不可能なことや、ヨーロッパ科学技術の導入による軍事力の強化を主張していた。アヘン戦争で清国を侵略したイギリスの次の標的が日本であるとの危機意識に立ったことは、左内の場合とまったく同じである。
 象山自身は、本格的な洋式兵器や砲術の勉学に取組んだが、その点、かれの学門観に深くかかわることに注目せねばならない。象山の学問の基本は朱子学であり、その学理をそのまま肯定した。しかも朱子学の「格物窮理」の思想を普遍的なものと考えて、それをヨーロッパ科学技術の法則探求の精神と同一化したのである。」

『民富論』と倫理。下「」引用。

「近世後期の新しい経済思想として、倫理性に根ざした「民富論」の生成が注目される。当時広く行われる幕藩領主層と特権商人らとの結びつきによる藩専売制が、生産者農民からの収奪を基本とする富国策であるだけに、生産者を富ますのが第一義となる「民富論」とは、まったく相容れない筋合いのものである。とりわけ、こうした藩専売制にかかわるあくなき利潤の追求には、「経済の道義なし」として、経済と道徳(倫理)との分裂・相剋(そうこく)がはげしくなる。-略-」

「国富論」に対するものだろう……。
今は、グローバルな新自由主義……。
どちらも、『民富論』ではないですね……。

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士道忘却事件」、文久2(1862)年12月19日、夜。結果、蟄居。

桂小五郎(木戸孝允)、暗殺をほのめかす……。下「」引用。

「事実、すでに九月四日には、桂小五郎が福井藩邸で中根雪江(なかねせつこう)に会ったとき、桂は、「近世人は、小楠のような“勤王の志”のないものを、“越前公(春嶽)の参謀”にしておくのは、天下のためによくないと評し合っている。壮年の連中は、小楠に出会い次第刺し殺すといっており、熊本藩士のなかにも、決して他藩の手をわずらわすまでもんなく、自分らで斬ると意気まくものがいる。そのため小楠を外出させないほうがよい」と厳しく警告するようなありさまだった(『続再夢紀』(一))。」

木戸孝允-維新前夜の群像

「維新政府に参画」した小楠。下「」引用。

「-略-小楠が大阪に着くと、すでに政府の参与となり会計事務局判事をつとめて維新財政を一手に担った由利公正が、大喜びで出迎えた。門弟の由利にしてみれば、小楠が文久三年八月福井より帰熊してからあしかけ五年におよぶ不遇に引きかえて、いよいよ訪れた師の開運に、大いに祝意を述べたに相違ない。」

最初はキリスト教を邪教と思っていたようだ。

熊本バンド」 下「」引用。

「明治九年(一八七六)一月三十日(日曜日)、熊本の花岡山で、プロテスタンティズムを奉じて、これを日本にひろめようと、洋学校生徒を中心に三五名で誓約署名を行った。これが「花岡山の近い」で、「熊本バンド」と呼ばれるようになる。-略-」

キリスト教との関わり。下「」引用。

「小楠実学と熊本バンドとのかかわりは、石津達也氏が指摘するとおり、小楠が門人に説いてやまなかった「天帝」「天」の観念が、熊本洋学校での ジェーンズの薫陶を触媒にして、類似性の強いキリスト教への信仰に導かれたものとみることができる(「横井小楠と熊本バンド」前掲『横井小楠のすべて』)。」








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