磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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広島TODAY

2007年09月11日 | 読書日記など
『広島TODAY』
    W・バーチェット(著)/
      盛田良雄、文京洙(訳)/連合出版1983年

外国人記者で、広島に一番最初に入ったというバーチェット記者が書かれた本です。



三十八年たってから書いたという。

広島で歴史的な記事を送ってから、彼はヨーロッパで国際紛争地点に送られたという。

広島にもどったのは1970年のことだったという。

広島の真の意味を理解していなかったと書かれています。下「」引用。

「一九七○年から八二年のあいだ、広島を訪問して生存者の運命を調査し、本書のテーマにかかわるものをすべて研究した結論として、私は自分自身が広島の真の意味を少しも理解していなかったということが分かった。」

多くの人が理解されていないとボクは思います。
ただ単に残酷な爆弾だったというだけでなく、大きな意味があり、今もこの不幸な世界に悪い影響を与えている……。

1945年8月11日、スイスの抗議があったことが、25年後に公表されたという。下「」引用。

「すでに広範囲にわたり帝国の諸都市に対して無差別爆撃を実施し来り無数の老幼婦女を殺傷し神社仏閣学校病院一般民家などを倒壊または焼失せしめたり、而していまや新奇にして、かつ従来のいかなる投射物にも比し得ざる無差別性、残虐性を有する本件爆弾を使用せるは人類文化に対する新たなる罪悪なり、帝国政府はここに自らの名に於て米国政府を糾弾するとともに即時かかる非人道兵器の使用を放棄すべきことを厳重に要求す』」

もし、アメリカがこの警告を聞いていたら、この世界は平和であった可能性が高い。
9.11もなく、イラク戦争もない社会、それをイマジンできるアメリカ人は少ないことだろうが……。

バーチェット記者は沖縄で原爆投下を知る。

同盟通信(今日の共同通信)の中村に協力を求める。

1945年9月3日、広島への列車のなかは日本の軍人だらけだったという。

勝部医師の言葉。下「」引用。

「勝部医師が最後に私に「どうぞ、あなたの見たことを報告し、あなたの国の人びとに--彼は当然のように私をアメリカ人だと思っていた--この病気に詳しい専門家を何人か送ってくれるように、そして彼らに治療に必要な薬を持たせてくれるように頼んで下さい。さもなければ、この人びとは皆、死ぬ運命にあるのです」と語った。」

当時二つの記事が書かれた。
一つはバーチェット記者の記事。下「」引用。

「原爆疫病。
『私は、世界への警告として、これを書く』
医師たちは働きながら倒れる。
毒ガスの恐怖--全員マスクをかぶる。
エクスプレス・スタッフ記者、ピーター・バーチェット」

放射線の知識のなかったバーチェット。

そして、もう一つの嘘の記事。下「」引用。

「広島の廃墟に放射能なし。
陸軍調査官、大地の溶解もなしと報告--六万八千戸の建物に被害。
東京九月十二日=W・L・ローレンス(ニューヨーク・タイムズへの電報)」

この記事はH・ローレンスが書いたと指摘する文献もある。

原爆犯罪

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犯罪的なプレスコードとベーチェット記者は書く。

1971年広島訪問、荒木武市長が司会。
反核運動へのバーチェット記者の貢献への「感謝」として青銅のブローチが贈られたという。

「自殺するアメリカ」という小タイトルで、水爆実験のことが書かれてありました。

このような事実を書く記者よりも、神話をつくる記者に名誉を与えたアメリカ。










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