絵本・子供の世界29『長崎のふしぎな女の子』
大川悦生・作/宮崎耕作・絵/ポプラ社1983年
表紙の裏に書かれてあります。下「」引用。
「おとうさんのてんきんで長崎へこしてきてからはじめての夏、あきらは、色の白いおさげがみの女の子と、ともだちになりました。さいしょは8月15日のしょうろうながしの日。そして、そのあくる日、せみをとろうとのぼった山で、またぐうぜんにであったのです。
あきらのいくさきざきにあらわれるふしぎな女の子は、いったいだれなのでしょうか。」
長崎の風物などがでてきます。
著者は「あとがき」でこう書かれています。下「」引用。
「わたしは長崎でいろいろな人にめぐりあいました。恵の丘原爆ホームのおばあさんたち、数多くの教え子やわが子を失った先生、ひとりむすめをさがしつづけた母親、傷つき病みつづけながら核兵器廃絶と被爆者救護のために働きつづける人……また、在京の被爆教師や母親たち(葛飾区立上平井中卒業生の母親有志)と長崎精霊流しをよたよく日、谷口稜曄さんらに一日市内を案内してもらったこと、その谷口さんが資料室にかざられたご自身のパネル(電報配達のとちゅうで被爆、背中一面に大火傷を負った、当時十六歳の少年)のまえに無言でたたれたときのことなど忘れ得ません。
それにもまして、広島・長崎へいくたびに、わたしとおなじ年代の少年少女やもっと幼い子どもたちが、ここで数知れず焼き殺されたことをおもうと、いたたまれない怒りにふるえます。全人類を数十回も死滅させるだけの量の核が世界に保有され、なお核兵器開発競争がやまない今、死んでいった幼いたましいにこの世へよみがえってきてほしい。影であれ幻であれ、語りかけ、訴えつづけてほしいと願わずにいられません。核と平和の問題は、そのまま今日の子どもたちに幸せな未来があるか、の問題なのですから。」
もくじ
大川悦生・作/宮崎耕作・絵/ポプラ社1983年
表紙の裏に書かれてあります。下「」引用。
「おとうさんのてんきんで長崎へこしてきてからはじめての夏、あきらは、色の白いおさげがみの女の子と、ともだちになりました。さいしょは8月15日のしょうろうながしの日。そして、そのあくる日、せみをとろうとのぼった山で、またぐうぜんにであったのです。
あきらのいくさきざきにあらわれるふしぎな女の子は、いったいだれなのでしょうか。」
長崎の風物などがでてきます。
著者は「あとがき」でこう書かれています。下「」引用。
「わたしは長崎でいろいろな人にめぐりあいました。恵の丘原爆ホームのおばあさんたち、数多くの教え子やわが子を失った先生、ひとりむすめをさがしつづけた母親、傷つき病みつづけながら核兵器廃絶と被爆者救護のために働きつづける人……また、在京の被爆教師や母親たち(葛飾区立上平井中卒業生の母親有志)と長崎精霊流しをよたよく日、谷口稜曄さんらに一日市内を案内してもらったこと、その谷口さんが資料室にかざられたご自身のパネル(電報配達のとちゅうで被爆、背中一面に大火傷を負った、当時十六歳の少年)のまえに無言でたたれたときのことなど忘れ得ません。
それにもまして、広島・長崎へいくたびに、わたしとおなじ年代の少年少女やもっと幼い子どもたちが、ここで数知れず焼き殺されたことをおもうと、いたたまれない怒りにふるえます。全人類を数十回も死滅させるだけの量の核が世界に保有され、なお核兵器開発競争がやまない今、死んでいった幼いたましいにこの世へよみがえってきてほしい。影であれ幻であれ、語りかけ、訴えつづけてほしいと願わずにいられません。核と平和の問題は、そのまま今日の子どもたちに幸せな未来があるか、の問題なのですから。」
もくじ