磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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バートランド・ラッセル著作集10 人間の知識II

2008年05月21日 | 読書日記など
『バートランド・ラッセル著作集10 人間の知識II』
   バートランド・ラッセル(著)/
     鎮目恭夫(訳)/みすず書房1960年、1964年2刷

統計学的なことを書かれている部分もあるが、わかり辛い。というよりも、推定さえできないのではないだろうかと思えることが書かれてありました。



ヒトラーを例にして書かれてあります。下「」引用。

「われわれは、有徳の人は実際に快楽を最大にするような仕方が行動するということはできない。なぜなら、そういう結果を予測する根拠をもたないこともあるからである。もしヒトラーの母が息子を赤ん坊のとき殺したなら、それは善良な行為だったろうが、彼女はそれを知ることができなかった。したがって、われわれは有徳の人は当人の知識がおよぶかぎりで、快楽をおそらく最大にするような仕方で行動すると言わねばならない。」

快楽原則だけが世の考えであるとしたら、その社会は悲惨なものになるのではないか?

快楽原則だけでなく、人間は行動しているとボクは思う。

このヒトラーの扱いも近年かわってきている。
--ほとんどの人は変わってないかも知れないが……。

それは、ヒトラーを怪物のようにみているのは間違い。
--ヒトラーもただの人間であった……。
彼は煽動したにすぎない……。
--社会システムとしてみる必要があると思う。
もしヒトラーを暗殺していたとしても、かわりの誰かがヒトラーのかわりに独裁していた可能性は高い。
--民主主義のシステムを維持することは難しく、理性が必要だ。

快楽原則ではなく、積極的な平和主義者がいて、社会システムをかえていこうとしたら、ヒトラーやヒトラーに類する人たちは登場できなのではないか?

--現代はそんな考えをしている人たちがいる。


フランス人の定義。下「」引用。

「たとえば、あらゆるフランス人はそれぞれ一つの固有名をもっており、「フランス国民」もまた一つの固有名とみなせるが、後者は不必要な固有名である。なぜなら、われわれは「フランス国民」は「つぎにあげる個人からなる集合(そしてリストをあげる)」として定義されるということができるからである。われわれは「フランス」をその地理的国境によって定義し、つぎに「フランス人」を「フランス」で生れた人として定義できる。
 このようにして名を構造的定義でおきかえていく過程には、実際には明らかに限界があり、おそらく(これは確実でないが)理論的にも限界がある。」

○○人というのも、いろいろな定義がある……。
--定義が全てではなかったりもする……。

あるイデオロギー集団は、一点に集中して、それが全てのようにする。
--これも騙しのテクニックだという。











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