磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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〈ビジュアル文化シリーズ〉差別と向き合うマンガたち

2008年10月09日 | 読書日記など
『〈ビジュアル文化シリーズ〉差別と向き合うマンガたち』
   吉村和真、田中聡、表智之(著)/臨川書店2007年

新しい試みのように書かれてありますが、どうもボクと思考方法が違うようで、面倒だなあーと思いながら読みすすめました。



まず、いいことも書かれてあります。下「」引用。

「事実、日本ではシリアスなマンガなのに海外ではギャグになってしまう、という例は決して少なくない。事はそれほど単純ではないのだ。「世界に通用する新しい日本文化」などと称す(称される)前に、例えば、マンガの絵柄から受ける印象が、いったいどのような社会的・歴史的条件に規定されているのか、もっとじっくり考える必要がある。」

あまり、政治利用されて欲しくない、マンガは庶民のものだと思う。
庶民の立場というのは、この著者たちにもない。
新しい権威のようです。
それとも、新しい権威になろうとされているのか、作ろうとされています。

手塚治虫が好きなのは、ボクも同じですが、手塚治虫を神のようにしては、もはや評論ではないでしょう。手塚教になってしまうのではないでしょうか?

手塚も子どもたちのためになるならば、批判を受入れられるでしょうし、ストーリーさえも変えられたのではないでしょうか?

差別の問題についても、読んでいてステレオタイプ=差別でもないのでは?
と、ボクには思えます。

むしろ、現代では、マインド・ウィルスとしてみた方がいいと思う。どういう政策があるかなしか……。

メガネがよくないようにかかれてあるが、『名探偵コナン』は、実におしゃれなアイテムであるし、かっこうがいいのである。

ステレオタイプを逆にイメージすると、おもしろい作品が作られるともいえると思います。

そういうことは、この本でも書かれてあります。石ノ森章太郎も、そういう試みだったようです。

『おーい竜馬!』は、身分差別を描いているという。

こんなことを書かれる人たちは差別していないのだろうか? 下「」引用。

『--差別体験を特権化するのでもない、複雑だが普遍性のある歴史に触れることができる』

--差別体験を特権化するとは何か?
特権化できたら、それは逆差別という差別では?
被爆者のほとんどがそんなことはしていないぞ!
そんな作品があるのか?
あったとしても、失敗作だろう?

--歴史に普遍性?
歴史は事実。
普遍性は作品ですね。


著者たちとの環境が違いすぎるのか、理解できない表現が多かったのがボクの感想です。

もし、イデオロギーに都合がいい作品を持ちけ上げるとしたら、悪いマインド・ウィルスに冒されているとしえ思えない。

昔のPTA関係の本を読んだら、手塚たちも非難されています。
それを気にもされていた手塚だったと思います。

今の漫画家はそんな批判する人がいないから、気の毒かもしれない。










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