磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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あの戦争を伝えたい

2008年12月23日 | 読書日記など
『あの戦争を伝えたい』
   東京新聞社会部・編/岩波書店2006年

「数々の生々しい証言を通して、あの戦争の実像に迫る。『東京新聞』大型連載の単行本化。」
--いろいろなことが書かれてあります。



「はじめに」下「」引用。

「-略-国内政治では自主憲法制定を党是とする自民党が衆院選で圧勝し結党五十周年を機に新憲法法案を発表した。憲法九条を改正し、自衛隊を「軍」と位置づけることが最大の眼目。野党第一党の民主党内でも九条改正論は広がっており、軌を一にして防衛庁を「防衛省」に昇格させることが政治課題に浮上している。-略-」

■目 次■
東京大空襲  2
山の手空襲  14
キリスト教弾圧  22
沖縄戦  34
原爆投下  54
サイパン陥落  70
硫黄島玉砕--任務は自爆攻撃  82
回天特攻  86
大和沈没  102
加害と向き合う・中国編  110
加害と向き合う・韓国編  122
シベリア抑留  138
満州棄民  154
南方戦の傷跡  162
米兵になった日系二世  174
BC級戦犯  186
日本人「逃亡兵」の記録  198
戦時下の記者、その後  210
語り継ぐ意志  220
あとがき  233

--キリスト教弾圧
「獄死、枕元に聖書」 下「」引用。

「治安維持法違反容疑で逮捕された牧師、菅野鋭(すげのとし)さんが病で血を吐いて獄死したのは、一九四三年十二月一日の未明だった。太平洋戦争の開戦から二年がたち、戦況は厳しさを増していた。-略-」

いなかったと書く人もいるが、おられたようですね……。下「」引用。

「戦前から戦中にかけて、キリスト教の牧師や指導者が数多く逮捕され、獄中に送られたことは、あまり知られていない。当初は共産主義者や無政府主義者らが標的としていた治安維持法が、当時の天皇制国家とは相いれない宗教などの弾圧にも使われたのだ。
 菅野さんの教派の系統では四二年六月から四三年夏までに、計百三十四人の牧師や教師たちが検挙された。天皇の統治をくつがえす協議を餅、国体を否定している--と断罪されたのだ。それまでもキリスト教関係者の摘発は繰り返されていたが、これが最大規模の一斉検挙だった。」

誓約書というものを牧師に書かされたという。下「」引用。

「四三年四月、協会解散に合わせて「この信仰より離脱する」と誓わせたときのものだ。逮捕を免れた牧師が主要な信徒のものを取りまとめ警察署長あてに提出した。手許に残るのは、控えだろうか。
「もちろん抵抗はありました……」。渡辺さんは言いよどむ。黄ばんだ一枚の紙はつらく重苦しい過去の記録だ。「書いてくれないか」。自宅まで来た牧師に説得された。「信仰を捨ててクリスチャンをやめるのではない。この教会をやめるということだから」。疑問はあったが、従わざるを得なかった。
 教会活動は禁止された渡辺さんたちは「書道研究会」という名を使って、平日の夜に筆や硯(すずり)を持って信徒の家に集まった。小さな声で讃美歌を歌い、礼拝をした。」

教派はどこなのか?
--わかりませんでした……。

--沖縄戦。下「」引用。

「-略-やむなく逃げ込んだ近くの壕だ。物の入ったリュックを奪われたうえに暴行を受けた。右目が見えなくなった。一九四五年六月上旬。軍司令部が置かれた首里が陥落、日本軍が敗走を重ねていたころだ。
 敗戦から六年。十八歳になった盛俊さんは、大阪に働きに出る。「あのときの日本兵を見つけて敵(かたき)を討ちたい」という思いを抱きながら。だが、あてもなく捜し出すには本土はあまりにも広かった。
 二十年以上も職を渡り歩き、七五年に復帰後の沖縄に帰郷。数年して、沖縄住民が戦時中に負ったけがにも、障害年金が支給されることを知る。
 当時住んでいた与那原(よなばる)にやってきた巡回相談の県職員が、盛俊さんに聞いた。「殴ったのは何部隊の誰ですか。何月何日何時何分ですか」
「戦時中、名乗って殴るバカがどこにいるか」。理不尽な質問に怒鳴った盛俊さんの後ろで、相談の順番待ちをしていたおばぁたちが「そうだ、そうだ」と加勢した。」

ヒロシマ・ナガサキ関連のことも書かれてありました。
「創作劇「家族」の舞台に、車いすで上がつた石橋純子さん(中央)=長崎市の恵の丘長崎原爆ホームで」という写真がありました。

--回天の搭乗員がアメリカに招かれたという。下「」引用。

「「回天を持っている。日米両国の観点から説明文を付けたい」。九九年四月、米ワシントン州キーポートにある海軍潜水艦博物館館長のウィリアム・ガルバーニさんから小灘さんに手紙が届いた。ニュージャージ集ハンサックの博物館にも、実戦では未使用の型の回天があると分かり、二○○一年夏、小灘さんら元搭乗員七人が渡米した。-略-」

日本人妻 韓国編。下「」引用。

「「日本人の妻は、韓国社会から必要以上につらく当たられてきたのよ」。芙蓉会会長の熊田和子さん(75)は言う。-略-朝鮮戦争時には「日本人狩り」に遭い、人民軍の兵士に刺された女性もいる。
 日本人妻へのこうした仕打ちは、戦後、加害の責任ときちんと向き合おうとしなかった日本社会と「合わせ鏡」のような関係に映る。」

「ヒロシマ通訳の苦しみ」
--日系二世……。下「」引用。

「瓦礫(がれき)の街ではモンペ姿の女性が端で骨を拾っていた。一九四五年十月ヒロシマ。日系二世の米軍語学将校、グラント・イチカワさん(86)=ワシントンDC在住=は、原爆の効果を調べる米国戦略爆撃調査団の日本語通訳だった。-略-」

「国民を誤らせた責任、「私も被告席」*実際は記者席にいる……。下「」引用。

「国民を誤らせた責任は、新聞記者の私にもあった。私があの被告席に座っていても何の不思議はなかった」

「捨てたペンを再び手に」というタイトルの文章もありました。

そして、システムのことなど考えないで、同じ過ちを異るケースで続けているマスコミ……。いつものことを続けている……。

積極的な平和こそ、大切なものですね……。








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