磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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原爆記-それは第二の誕生日だった-第3版

2008年07月19日 | 読書日記など
『原爆記-それは第二の誕生日だった-第3版』
   小野山博子・著/手帖舎1990年

ある文豪が症状が軽くなって喜んでいたら、新しい病気でその症状があらわれなくなっていただけだと書かれてあったのを思い出した……。



八月四日にピアノを聴いていたという……。下「」引用。

「「そう、あの前の日は、ピアニストになった、岡山の女学校時代の級友が広島に放送に来ましたので、久々の邂逅を楽しみ、ピアノを聞かせてもらったり、広島の街を一緒に歩いて、少女時代に帰った思いの一日をすごしたような気がします……」
 と云って、それが果たして五日であったか、四日の事であったかと、あとでしばらく考えなければならなかった。
 結局、それは、八月四日の事であったのがはっきりして来た。」

第二の誕生と書く著者……。下「」引用。

「ある意味で、八月六日に、それ迄の私と云う者は死んでしまって、新たに、八月六日に生れ変ったような気がするのです。つまり、私の第二の誕生日なのです。-略-それに、毎年夏になると、喘息の症状が出ていたのが、あの日以来起らなくなったと云う事は、私の受けた放射能が、治療に丁度良い量であったのかもしれません。……原爆でヤキを射れて、心臓が少し強くなったのかもしれません。」

丁度よい量なんてないと思います。
--治療の場合、患部などに効くだけでは?……。

終わることを恐れていたから、こんなことに拘るのではないでしょうか? 下「」引用。

「日本は、縁起をかついでか、始めと云う字は「始終」と云う言葉が示す通り、終りがあるので、国に終りが来ないようにと祈りをこめて「肇」と云う文字を使っていた。皇国、神国日本と云うものを、最高に美化して考え度いと思う人々の夢であったのだろう。」

非科学的な発想だと思います……。

大きなタマネギができたという……。下「」引用。

「放射能のせいか、後年、玉葱など、二倍から三倍程も、大きく育った菜園もあったそうだ。」

駅について、おもしろい表現がありました……。下「」引用。

「目を閉じれば浮んで来る、軍都広島にふさわしく、六大都市に負けないようにと、昔の小さな広島駅に継足し工事で拡張されて、立派そうに見えていた大広島駅は、ピカで吹き飛ばされか焼失したらしく、軍都消滅を象徴するように、以前の小広島駅の骨格がションボリと残って立っていた。」

火傷の人はいないというので……。下「」引用。

「この街には原爆の火傷の人は一人もいないのだと思うと、何となく人に見られるのが嫌な気がして、伏し目がちに母の後から、温泉と云うところに初めて出かけた。」

被爆者のための、温泉の施設があるのは、この点でいいことだったのでしょうね……。

--リハビリでは障害を持つことは「新しい誕生」といいます。
そして、新製品誕生ではありません。
--人間の誕生です。
赤ちゃんを見てください。
--誰も笑って生まれてきませんネ……。







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