磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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核廃絶への道-論文集-

2011年12月27日 | 読書日記など
『核廃絶への道-論文集-』
   土山秀夫・著/長崎文献社2011年

帯に書かれあります。下「」引用。

「長崎市名誉市民決定記念出版
長崎大学元学長の土山氏は、論客として「核廃絶」を訴えている。
本書は、これまで発表した珠玉の論文をあつめたものである。
2010年には「長崎市名誉市民」に推挙された。その記念出版でもある」



不平等なIAEA。下「」引用。

「さらに非核保有国に国際原子力機関(IAEA)の査察を義務づける半面、核保有国はIAEAに自己申告するだけにとどまっていること。このように、きわめて不平等条約の色彩が強い点への反発からくるものであった。」

「日本はプルトニウムを貯めこむ国!?」 下「」引用。

「これではいくら日本が国際原子力機関(IAEA)に届け出を行い、原子力の平和利用に関する透明性を高めていると強調しても、日本が先端的な工業技術をもっているだけにことは厄介である。科学者で脱原子力運動の中心人物である高木仁三郎氏が指摘するように、日本の巨大プルトニウム計画が「核疑惑」をもたれている北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の一○○○倍以上の規模だとすれば、なおさらそうした疑惑を否定するのは簡単ではない。」

INDEX

「公然と「核抑止力」を力説する核保有国」 下「」引用。

「ところで今回の国連軍縮会議でもっとも注目されたのは、核保有国が公然と「核抑止力」の必要性を力説した点であった。“公然と”と断わったのは、筆者がシンポジストとして参加した一九九四年の「国連と軍縮シンポジウム」の際には、核保有国がほとんど抑止の表現を用いなかったからである。-略-」

核抑止論はテロリズムであることを自覚できない、原子力ファシズム。
自国のファシズムは愛国主義だが、同様のことを他国がすれば「悪」。

フランスの核兵器は、使われても侵略しない??? 下「」引用。

「またデロンシャン仏外務省安全保証不拡散局次長は、「フランスの核兵器はけっして他国を侵略するためものではない。過去の侵略を受けた歴史をもつフランスとしては、自衛のための核兵器による抑止であって国の自衛権は国連憲章でも認められている」という。しかしこの論旨は、どう考えても誤解を招きやすい。なるほど国連憲章の五一条は国の自衛権を認めているが 、それが核兵器を含む自衛権まで認めているはずはない。それどころか一九六一年の国連総会では、「核兵器の使用は人類と文明に対する犯罪行為である」と決議されているのである。」

侵略どころじゃないだろう……。フランス人ってイマジンできない人たちなのかもね?
「原発や公害のあるところに民主主義はない」
--フランスにも、原発ジプシーは存在する。そうでなければ、原発は動かない。

祭りの場』 下「」引用。

「受賞作にの『祭りの場』にはこういう場面が出てくる。「広場で高等学校の生徒たちが円陣をつくって踊っていた。仲間が出陣するので、踊りは出陣学徒を戦場に送る送別の意味の踊りである。その頃連日、学徒たちが出陣していった。コンクリートの殺伐な工場広場は彼等の祭りの場となっていた」。そして原爆投下によって描写は一変する。「広場で出陣の踊りを踊っていた学徒らは即死、火傷の重傷者は一、二時間生きた。爆圧でコンクリートに叩きつけられて腸が飛び出た学徒がいた。若者だけにうめき声がすさまじかった。逃げる途中声を聞いた友人は、今でも話をするとき両手を耳をおおう」
 実は長崎医科大学(現・長崎大学医学部)や附属医専の学生たちが出征するときも、これとまったく同じような祭りが行われていた。ただ場所は殺風景な工場内ではなく、浦上駅前であったり長崎駅前であったりした。出征学徒を囲んで来る側の人間が輪をつくり、互いに両肩を組むと足を蹴り上げたり下ろしたりしながら、旧制高校のストームそのままに踊り回る。歌は校歌であったり軍歌であったりする。-略-将来の若者たちに決して第三の「祭りの場」を提供することがあってはならない。アジア・太平洋戦争の最大の教訓はそこにあるはずなのだから。」

原発推進という、すさまじい「祭りの場」
「安全」でないものを安全としたファシズム……。
日常テレビで、PR館で、教科書で……。鉄腕アトムのマンガやアニメで……。
「人殺し」を正義とする人たちの輪……。
--今も、推進者たちは福島の被害者たちを見つめようともしない。
大手メディアは「祭りの場」

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