『祭りの場』
林京子・著/講談社1975年
第73回(昭和50上)「芥川賞」受賞作
■目 次■
祭りの場 7
二人の墓標 101
曇り日の行進 163
『講談社文庫 祭りの場』
林京子・著/講談社1978年
■目 次■
祭りの場 9
二人の墓標 71
曇り日の行進 133
どうもエッセイみたいな小説は、とりかたによって、どうとでも解釈がかわるのではないか?
そんな感じがしてならない。
たとえば。下「」引用。
「アメリカ側が取材編集した原爆記録映画のしめくくりに、美事なセリフがある。
--かくて破壊は終りました--」
これなどは、皮肉としか思えない、そう読んでいたが……。
言葉通りとってしまったら、意味が大きくかわる……。まさか……とは思うが……。
嵯峨根博士に送った手紙について。下「」引用。
「特に「そのときは原爆の雨が怒りのうちに」のくだりはは過ぎた歴史の証言としては読みすごせない。原爆の雨が怒りのうちにますます激しく私の友を殺した八月くにちの浦上が眼に浮んでくる。当然の行為として書いた三学者を、あるいは書かせた米国を、神のみ子だから恐れるるのだな、と敬服する。」
これも経過を考えたら、こんなふうにはならないだろうとボクは思う。
科学者の多くは原爆投下を反対した。
--しかし、投下された。もし手紙をつけて欲しいといったところで、軍部の介入があるのだから、その人たちの意向に添わないといけないのではないか?……。
キリスト教も一枚岩ではないし、クエーカーなどは完全平和を願う集団でもある……。
--ヒロシマの恩人にもキリスト教徒は多い……。
原爆神話をつきつめているのは、軍国主義者だろう……。
index
そして、日本軍がおこなった残虐行為も否定できないのではないか?
ウルトラセブンの「スペル星人」について書かれてあった。下「」引用。
「一九七○年一○月一○日の朝日新聞に“被爆者の怪獣マンガ小学館の「小学二年生」に掲載、「残酷」と中学生が指摘”の記事がのっている。-略-原爆文献を読む会の会員は絶対に許せない、と抗議の姿勢をとった。事件が印象強く残ったのは確かである。「忘却」という時の残酷さを味わったが、原爆に感傷はいらない。
これはこれでいい。漫画であれピエロがあれ誰かが何かを感じてくれる。」
これもきちんとした経過が知りたいと思う……。
『漫画であれピエロであれ誰かが何かを感じてくれる。』
--だから、非難をしなければならないと感じた人たちもいるわけで、こんな書き方では非難したことにもならないのではないか?
そしてその後に。下「」引用。
「漫画だろうと何であろうと被爆者の痛みを伝えるものなら、それでいい。A課の塀からのぞいた原っぱの惨状は、漫画怪獣の群だった。被爆者は肉のつららを全身にたれさげて、原っぱに立っていた。」
怪獣で痛みがわかる感性のたかい人もいるだろう……。
--しかし、被爆者はひばく星人ではない!
おなじ人間、おなじ日本人である!
何でもいいわけがないとボクは思う。
勧善懲悪で暴力を正義などという考え方なら、いきつく先は……。
そして、八月だけと非難?……。下「」引用。
「おそらく、彼らの生活に再び原爆が、立ち返ることはあるまい。有ったとしても、年毎の八月、ほんの瞬きの間。
しかしケロイドの青年も私も、行進が終る日はない。道すがらの海が、夏の太陽に照り輝やいていても、行進の終着である広島が来ても、があらがら旗竿を引きずって、歩きつづける。-略-」
マスコミ批判などなら、理解できるが……。
年間とおして、平和運動で努力している人たち、勉強している人たちもいるのではないか?
被爆者が先頭にたたれて、地道な運動をされてきたことが大きいとボクは思っている……。
何度も書くが、山口仙二や、谷口稜曄などの庶民を尊敬している!
権威主義などに関わったら、平和主義なんて理解できないのではないか?
ローマの平和を認めたら、平和主義ではないだろう……。
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林京子・著/講談社1975年
第73回(昭和50上)「芥川賞」受賞作
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曇り日の行進 163
『講談社文庫 祭りの場』
林京子・著/講談社1978年
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祭りの場 9
二人の墓標 71
曇り日の行進 133
どうもエッセイみたいな小説は、とりかたによって、どうとでも解釈がかわるのではないか?
そんな感じがしてならない。
たとえば。下「」引用。
「アメリカ側が取材編集した原爆記録映画のしめくくりに、美事なセリフがある。
--かくて破壊は終りました--」
これなどは、皮肉としか思えない、そう読んでいたが……。
言葉通りとってしまったら、意味が大きくかわる……。まさか……とは思うが……。
嵯峨根博士に送った手紙について。下「」引用。
「特に「そのときは原爆の雨が怒りのうちに」のくだりはは過ぎた歴史の証言としては読みすごせない。原爆の雨が怒りのうちにますます激しく私の友を殺した八月くにちの浦上が眼に浮んでくる。当然の行為として書いた三学者を、あるいは書かせた米国を、神のみ子だから恐れるるのだな、と敬服する。」
これも経過を考えたら、こんなふうにはならないだろうとボクは思う。
科学者の多くは原爆投下を反対した。
--しかし、投下された。もし手紙をつけて欲しいといったところで、軍部の介入があるのだから、その人たちの意向に添わないといけないのではないか?……。
キリスト教も一枚岩ではないし、クエーカーなどは完全平和を願う集団でもある……。
--ヒロシマの恩人にもキリスト教徒は多い……。
原爆神話をつきつめているのは、軍国主義者だろう……。
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そして、日本軍がおこなった残虐行為も否定できないのではないか?
ウルトラセブンの「スペル星人」について書かれてあった。下「」引用。
「一九七○年一○月一○日の朝日新聞に“被爆者の怪獣マンガ小学館の「小学二年生」に掲載、「残酷」と中学生が指摘”の記事がのっている。-略-原爆文献を読む会の会員は絶対に許せない、と抗議の姿勢をとった。事件が印象強く残ったのは確かである。「忘却」という時の残酷さを味わったが、原爆に感傷はいらない。
これはこれでいい。漫画であれピエロがあれ誰かが何かを感じてくれる。」
これもきちんとした経過が知りたいと思う……。
『漫画であれピエロであれ誰かが何かを感じてくれる。』
--だから、非難をしなければならないと感じた人たちもいるわけで、こんな書き方では非難したことにもならないのではないか?
そしてその後に。下「」引用。
「漫画だろうと何であろうと被爆者の痛みを伝えるものなら、それでいい。A課の塀からのぞいた原っぱの惨状は、漫画怪獣の群だった。被爆者は肉のつららを全身にたれさげて、原っぱに立っていた。」
怪獣で痛みがわかる感性のたかい人もいるだろう……。
--しかし、被爆者はひばく星人ではない!
おなじ人間、おなじ日本人である!
何でもいいわけがないとボクは思う。
勧善懲悪で暴力を正義などという考え方なら、いきつく先は……。
そして、八月だけと非難?……。下「」引用。
「おそらく、彼らの生活に再び原爆が、立ち返ることはあるまい。有ったとしても、年毎の八月、ほんの瞬きの間。
しかしケロイドの青年も私も、行進が終る日はない。道すがらの海が、夏の太陽に照り輝やいていても、行進の終着である広島が来ても、があらがら旗竿を引きずって、歩きつづける。-略-」
マスコミ批判などなら、理解できるが……。
年間とおして、平和運動で努力している人たち、勉強している人たちもいるのではないか?
被爆者が先頭にたたれて、地道な運動をされてきたことが大きいとボクは思っている……。
何度も書くが、山口仙二や、谷口稜曄などの庶民を尊敬している!
権威主義などに関わったら、平和主義なんて理解できないのではないか?
ローマの平和を認めたら、平和主義ではないだろう……。
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