磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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母と子でみる日本の空襲

2009年06月21日 | 読書日記など
『母と子でみる日本の空襲』
   早乙女勝元、土岐島雄・編/草の根出版会1988年

草土文化 1984年刊の再刊。



中曽根康弘は、日本は米国を守るための「不沈空母」と発言。下「」引用。

「一九四一年(昭和一六年)に太平洋戦争がはじまった当初は、戦争仕掛人の軍人たちは「日本の空の守りは鉄桶(てっとう)である」と豪語していた。ところが、翌四二年四月、米空母より発進した中型爆撃機十数機が、日本本土より発進した中型爆撃機十数機会が、日本本土を爆撃すると、軍人たちは慌てふためいた。-略-」

「無差別爆撃のはじまり」 下「」引用。

「戦争のさなかには、より大きな破壊力をもつ爆弾を、より遠くに、より早く、より正確に敵の目標物命中させようと、各国とも血まなこになる。科学者を集めて、新しい兵器を次々と開発する。そしてそれを実際に使うために、政治家や軍人たちがいろいろな大義名分を主張する。
 一九三七年(昭和一二年)、ヨーロッパではドイツがゲルニカ(スペインの町)を、アジアで日本がドイツが南京(中国の首都」をそれぞれ爆撃して、世界の人たちを驚かせた。基地や工場を破壊するだけでなく、住民をも無差別に、大量に殺し傷つける最初の空襲だった。
 支那海をこえて中国の南京を爆撃したのは、日本海軍の新鋭機・九六式陸上攻撃機で、日本で初めての全金属製大型機だった。新聞は“わが海の荒鷲は長駆敵首都南京を渡洋空爆”と報じたが、無差別爆撃については論ぜず、海外ではドイツのゲルニカ爆撃とともにその残ぎゃく性が世界に印象づけられた。
 日本軍は翌三八年、揚子江上流の無防備都市・重慶にさらに大規模な無差別爆撃をおこない、日中戦争へ深入りしていった。」

流行り歌……。下「」引用。

「また南京爆撃を謳った「荒鷲の歌」-略-が大ヒットし、威勢のよさがもてはやされる時代となった。」




「軍需工場が最初にねらわれた」日本。

「岩国駅付近の爆弾あと」



「戦時下民衆の痛恨を…」早乙女勝元・著。下「」引用。

「-略-今回は限られたページ数で日本全国を鳥瞰し、しかも基礎となる総合的な資料は、四ページに付記しましたような具合で、さすがの土岐さんもたいへん苦労されました。-略-」





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