磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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母さんの昭和史 いま子どもたちに38篇の伝言

2008年06月29日 | 読書日記など
『母さんの昭和史 いま子どもたちに38篇の伝言』
   平和のための大阪の戦争展実行委員会・編/
     日本機関紙大阪府本部1989年

まだまだ知らないことが多いし、本を読んでいて悩むことがある。この本は表紙かに書かれているように原爆だけではない。下「」引用。

「街や村で、広島で、長崎で、沖縄で…戦火をくぐりぬけた母たちが書いた」



戦火をくぐりぬけてきた人たちとボクではやはり異なる。下「」引用。

「竹ヤリを持って最期まで戦え」など、皇国のためにと教え込まれたので、八月十五日の終戦を迎えても何が何だか理解できず、大人達がほっとしたように「日本が負けた」と教えてくれ、恐怖から覚めたのだった。
 それからの教育は百八十度変わり、憲法が新しく生まれ、主権が国民に存することを宣言され、第九条では戦争の放棄、軍備及び交戦権の否認が明確にされた。
 しかし今、私たちの周囲にあるものはなんだろうか。戦後教科書も何回も書き変えられ、自衛隊は、昔の軍隊以上の戦力があるとのことだ。テレビで、ものものしい戦争の行進を見ると、時代の錯覚に陥るのも私たちだけではないだろう。」

私が生れたときには、もうすでに自衛隊があった……。

「●大空襲の猛火をくぐった母たち7 泣くことを忘れた子どもたち」岡本記代子(大阪府大阪狭山市)・著という文章があった。

永井隆博士も、茅乃さんが泣かないことを書かれていた。
--それは大人になったのではなく、泣いてもやさしい母がいないからだという……。
今も泣けない子どもたちがいることだろう……。

堺の空襲のことも書かれてありました。下「」引用。

「堺の空襲の時は、夜空が真っ赤に染まり、何本ものサーチライトの光の中で、敵の飛行機が白く浮かび、高射砲のさく裂する音が聞こえた。」

NHK長崎に勤務されていた人の文章もありました。

満州にもB29が攻撃があったという……。 下「」引用。

「満州の奉天(日本人町)にいた私には、八月十一日からが戦争でした。B29爆撃機の襲来が、八月九日にあって、身の安全を求めて疎開する事になったんです。」

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